松山英樹「日本人でもできる」証明したマスターズ制覇


◆米男子プロゴルフツアー メジャー21年初戦マスターズ最終日(11日、米ジョージア州オーガスタナショナルGC=7475ヤード、パー72)

 4打差の単独首位で出た松山英樹(29)=LEXUS=が4バーディー、5ボギーの73でまとめ、通算10アンダーで後続に1打差をつけて念願の初優勝を飾った。アマチュア時代の2011年からメジャー通算33度目の挑戦で、1932年から日本男子の悲願だったメジャー初Vとアジア人初のマスターズ制覇の歴史的偉業を成し遂げた。17年8月以来の米ツアー通算6勝目。勝者の象徴のグリーンジャケットに袖を通し、終身の大会出場権を手に入れた。

 89年間、閉ざされてきた歴史の重い扉を松山がこじ開けた。2打リードで迎えた最終18番。「パトロン」と呼ばれる観客に総立ちの拍手で迎えられ、日本のエースはグリーンに上がった。静寂の中、30センチのウィニングパットを沈めると大喝采。グリーン脇にいた飯田光輝トレーナー(44)ら関係者と次々と抱き合い、目に涙を浮かべた。「やっと優勝できた」。幼少から憧れた、世界の名手が集う大舞台で夢を現実に変えた。

 世界屈指の難コースで堂々と逃げ切った。最終日最終組。「緊張しっぱなし。1番のティーグラウンドに立った時、最終組でトップにいることを考えたらすごくナーバスになった」。1打目を右に曲げてボギー発進。だがパー5の2番で取り返して落ち着けた。5打リードで折り返した後半、試練が訪れた。15番の4アイアンでの2打目がグリーン奥の池へ。まさかのボギーで2位に2打差と迫られる。それでも17、18番は果敢にドライバーを振り抜いてフェアウェーに運び、ショットを軸に勝ちきった。

 宮本留吉が1932年の全英オープンで4大メジャーに日本勢初出場。以後、日本の男子ゴルファーが追ってきた夢がかなった。「勝ったことによってこれから日本人(選手)がすごく変わっていくんじゃないか。日本人でもできるということが分かったと思う」。次なる日本人メジャー王者の早期誕生を期待した。

 米ツアーに本格参戦して8年目。今年は10戦で15位が最高と苦戦続きも、相性の良いオーガスタの森でよみがえった。昨年末に契約した目沢秀憲コーチ(30)とiPadでデータを分析して意見交換。「水曜日にショットにすごくいい感覚が戻って自信を持ちながら戦った」。唯一毎年同じ会場で開かれる4大メジャーで、15年5位などの経験を積んでコースも熟知。持ち前の高精度のショットに加え、今大会はグリーン周りの小技もさえ渡った。

 初挑戦した10年前は東日本大震災の直後。宮城・東北福祉大2年だった松山は、被災した第二の故郷への思いを胸に秘め、日本人初のローアマチュアの27位と奮闘。「それを経験していなかったら、今の自分はない。背中を押してくれた人にいい報告ができたのは良かった。グリーンジャケットを日本に持って帰れることがうれしい」とプレーで勇気を被災地へ届けた。表彰式では栄光のグリーンジャケットにアジア人で初めて袖を通し、スピーチを「サンキュー」と締めた。

 歴史的勝利で世界ランク14位に浮上し、今夏の東京五輪日本代表入りは決定的に。金メダル有力候補となり「開催されるのであれば当然狙いたい」。アジア初のマスターズ王者が日本ゴルフ界に空前のにぎわいをもたらす。(榎本 友一)

 ◆松山 英樹(まつやま・ひでき)1992年2月25日、愛媛・松山市生まれ。29歳。4歳からゴルフを始め、東北福祉大2年だった11年マスターズ・トーナメントで27位となり日本人初のベストアマチュアに輝いた。同年の三井住友VISA太平洋マスターズでアマV。プロ転向した13年にツアー史上初のルーキー賞金王となり、同年秋から米ツアーに本格参戦して14年に初優勝。17年全米オープンで日本男子メジャー最高タイの2位。17年6月には世界ランクでも日本男子最高の2位となった。180センチ、91キロ。家族は妻と1女。

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