松山英樹、16歳から世界見据え、日本100年の悲願かなえた…ゴルフジャーナリスト武藤一彦氏語る


◆米男子プロゴルフツアー メジャー21年初戦マスターズ最終日(11日、米ジョージア州オーガスタナショナルGC=7475ヤード、パー72)

 松山英樹(29)=LEXUS=が日本男子初の海外メジャー制覇を達成した。50年以上の取材歴があるスポーツ報知OBで、ゴルフジャーナリストの武藤一彦氏が、松山の歴史的快挙に迫った。

 ゴルフは常に学び続けることができる素晴らしいスポーツ、と言ったのはマスターズの創始者ボビー・ジョーンズだが、研ぎ澄ました技術が裏目に出た時、これほど怖いゲームはない。まして日本の男子ゴルフにとってのメジャータイトルには100年の願いがこもる。2020年は、1920年(大正9年)に日本初のプロゴルファー・福井覚治がプロになってから100年だった。節目の翌年にマスターズ優勝のチャンス。ここで松山がタイトルを逃すわけにはいかないと悲壮感が先立ったわけである。

 日本勢とメジャーとの付き合いは戦前の1932年、宮本留吉が全英オープン、全米オープンに出場して始まった。日本勢がこれまで33人出場し、日本で最も身近なメジャーといえるマスターズ初挑戦は36年の陳清水と戸田藤一郎。その後、河野高明、AON(尾崎19回、青木14回、中嶋11回)らが高い壁に挑んだが、伊澤利光、片山晋呉の4位が最高と頂点は遠かった。しかし、松山がついに王者に君臨した。ローアマ経験者がグリーンジャケットを着たのは過去にタイガー、ニクラウスら6人だけという偉業でもあった。

 松山29歳、インタビューでこの勝利は日本にどんな影響が?の問いに答えた。「ジュニアの子をはじめ日本のみんなと一緒にメジャーの2勝目、3勝目に挑戦していきたい」。そんな声を聞き、思い出すのは16歳の松山少年時代の姿である。

 08年夏の日本ジュニア選手権、埼玉・霞ケ関CC東コース、松山は愛媛・明徳義塾高2年だった。主催の日本ゴルフ協会の広報参与だった筆者とこもごも話し合ったことだった。彼、曰(いわ)く、「ショットが曲がりよくないが、サンドウェッジのアプローチ、パットが安定してできるようになった。今年暮れからウェートトレを始める。体重を10キロは増やし世界アマに出場、将来はメジャーに出たい」「ゴルフは小学2年で始め初競技は98だった」「試合のスコアは忘れない。コースも1回で覚える」。はきはきと将来を語った。その1年後の東北福祉大入学時、179センチ、67・8キロと言っていた体重は10キロ増えパワーゴルファーに変身。松山は常に世界を見ていた。

 このエポックの刻みは理想的である。30歳過ぎの充実は歴代王者、ホーガン、スニード、ネルソン、ビッグスリーのパーマー、プレーヤー、ニクラウス、そして現代のタイガー、マキロイ、ダスティン・ジョンソンを見ても明らか。「HIDEKI MATSUYAMA」の時代が始まった。(ゴルフジャーナリスト)

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