驚異のエージシューター田中菊雄の世界190 武藤一彦のコラム


 自分の年齢と同じか、それ以下の少ないスコアで18ホールをプレーするエージシュートは、唯一無二、独得の味わいを秘めたユニークなゴルフ競技である。なにしろ、参加できるのは長寿で健康な人に限られる。自分の年齢と18ホールのスコアと同じか、それ以下のスコアでないと勝者として認められないというのだから大変なのだ。ゴルフ発祥の英国、ツアーの本場・アメリカでは特にシニアゴルファーが“年齢と同じか、それより良いスコア”でラウンドするエージシュートをことのほか良しとする。プロのシニア競技が盛んになるとエージシュートは俄然、脚光を浴びたが、昨今、高齢化社会を生きる上でエージシュートは一つの「良い生き方」の指針となっている感もある。

 

 世界的なエージシューターとして知られるのは、サム・スニード(米)だ。PGAツアー82勝の最多優勝。1965年、52才で米ツアー、「グリーンズボロ・オープン」に優勝した快挙の持ち主は、1979年、67才のときレギュラーツアーの「クオードシティ・オープン」で66のエージシュートを達成。世界を驚かせた。この記録はPGAツアーの最も若いエージシュート記録である。

 

 だが、その快挙の2年後のこと。日本の中村寅吉がこの世界に新風を送り込んだ。1981年4月15日、当時65才の中村は、群馬・鳳凰CCの「関東プロシニア選手権」で7アンダー65のエージシュートをやってのけた。”トラさん“はこの日、1イーグル、7バーディー、2ボギーの快進撃、快挙を達成である。65歳の65はツアーメジャー競技の最年少、最少スコア。世界初の偉業だった。
 大騒ぎになった。日本のエージシュートは、アマの競技では1970年代に日本ゴルフ協会傘下のコースの競技会で77歳の倉重清久氏(霞ヶ関CC所属)が年齢と同じ77をマークしエージシュートに成功。以来85歳までの9年間に61回を記録していまだ破られていない大記録となっている。

 

 そんな中、中村が世界を相手にした予想外の出来事に日本ゴルフ界は歓喜した。スニードと寅さんといえば因縁のライバル。1957年の日本開催のカナダカップで日本が団体、個人の2大タイトルを独占、世界に日本を猛然とアピールしたことに始まる。この大会、中村は、団体で小野光一と組んで優勝、個人も堂々の優勝で2冠。その偉業をもって日本にゴルフブーム、ツアーが立ち上り東洋一のゴルフ王国へのし上がった。
 そして、以来、中村とスニードは「サム」「ピート」の愛称で呼び合う親しい仲になった。
 関東プロシニアは日本プロ協会主催の伝統の公式戦。日本オープン、ゴルフ日本シリーズなどと同格のトーナメントだ。米ツアーのスニードの記録はスポンサートーナメント。別に格付けする必要はないが、メジャー競技は協会主催の伝統大会として別格として位置付けられている。その世界初のエージシュートには“重み”がある。65才の年齢も長らくエージシューターの世界最年少記録として記録されたので敬意を払った。なお、トラさんは生涯でエージシュートは7回、最後は78歳のときだった。

 

 スニードで始まった米ツアーのエージシュートは、その22年後の2001年の「ボブ・ホープ・クラシック」(カリフォルニア州PGAウエストなど4コースで開催、現キャリアビルダー・チャレンジ)で、当時71歳のアーノルド・パーマーが71で初めてエージシュート達成した。スニード以来、実に22年ぶりのことだった。エージシューターは「いずれは自分の年齢で回れそうだと意識していたが、思ったより長い時間がかかった。達成感がある」と感無量の面持ちだった。

 

 最後に日本エージシュートチャレンジ協会のエージシュート達成の近況です。エージシュート達成者は2023年3月現在24人の会員が見事名を連ねました。驚異のエージシューター田中菊雄会長は3月31日現在1324回。驚異の記録をまい進中。全員の名前は明記できないので年度別の達成者の人数を拾うと2020年は3人、21年、22年は4人ずつ計8人がエージシュートを達成。年々、増えているのが頼もしい限り。努力は結ばれる。皆さんの、さらなる奮闘を応援します。会員の皆さん、エージシュートを達成したら協会へすぐ報告してください。

 

 ◆田中 菊雄(たなか・きくお) 1935年3月3日、島根・松江市生まれ。89歳。神奈川・川崎市を拠点にリフォーム、食品など5社、社員400人を抱える「北山グループ」取締役会長。東京・よみうりGCなど4コース所属、ハンデ5。初エージシュートは06年8月、71歳のとき静岡・富士国際富士コースを70で回った。173センチ、65キロ。