◆米男子プロゴルフツアー メジャー第3戦 全米オープン 最終日(15日、米ノースカロライナ州パインハースト・リゾート=7569ヤード、パー70)
松山英樹(32)=LEXUS=が、最終ラウンド後に今夏のパリ五輪出場を明言した。4位だった東京に続く2大会連続の出場で日本男子初の「メダルを目指す」。5位から出た最終日は1バーディー、1ボギーの70で回って通算2アンダーの6位で、22年全米オープン以来10度目のメジャー大会トップ10入りを果たし、74万8154ドル(約1億1746万円)を獲得した。ブライソン・デシャンボー(米国)が、6アンダーで4年ぶり2度目の優勝を飾った。
ホールアウト後に松山がパリ五輪出場を明言した。「普段の戦い方をしてメダルを目指す。出るからには頑張りたい」。既に世界ランキングを基にした五輪ランキングで出場権獲得を確実にしていたが、初めて公の場で決断に触れた。
2月に米ツアーで優勝するなど早々に権利を当確させながら、表明はこの日に至った。「若手が頑張ってワールドランキング50位以内に2人が入っていれば、僕でなくてもいいかなと思いながらも、そういう感じじゃなかったので。出なきゃいけないと思う」。葛藤の末に、日本のエースは2度目の五輪参戦を決めた。
日本ゴルフ協会(JGA)のサポート体制に疑問を抱えていることも、理由の一つだった。現地の環境、普段ツアーをともに転戦するチームメンバーの帯同、食事についてなど、情報が不足している。メジャー今季最終戦の全英オープン(7月18~21日)から中1週で五輪を迎える。欧州に残り調整することが最善策だが、拠点の見通しについて松山の耳には届いていない。「プロゴルファーとして毎日やっているし、五輪がどういう感じなのかまだ分からない。もうちょっとサポート体制をしっかりしてもらえたら、すんなりと行きたいです、とは言えるんですけど…」。
16年リオデジャネイロ五輪はジカ熱と治安の不安を理由に辞退、21年東京大会では7人による銅メダルを懸けたプレーオフで敗退して4位だった。今季はジェネシス招待でアジア勢最多となるツアー通算9勝目を達成。今大会での21年マスターズに続くメジャー2勝目こそならなかったが、2年ぶりのメジャーでのトップ10入りも果たした。「出るからには頑張りたいと思うし、この調子で、いい状態をキープしていけたらいいなと思っている」。全英オープン制覇と五輪での日本男子初のメダル獲得へ、弾みをつけた。
◆松山に聞く
―最終日を振り返って。
「スタートからショットがなかなか思うように打てなくて、昨日同様苦しんだ。こういうコンディションなのでちょっとしたミスが顕著に出る。3日目、4日目で、まだそこで戦えるショットはなかったということ」
―9番でボギーが先行。
「バーディーを先行させないとチャンスはないと思っていた。厳しい戦いだったけど、最終日にオーバーパーを打たずに終われたのは良かった」
―6位という順位は?
「昨日、今日と全然思うようにいかない中で、よく粘れた。前回出た時(同じ会場での14年大会は通算8オーバーで35位)よりは少しうまくなったのかなとも思う」
◆五輪のゴルフ競技 1900年パリ、04年セントルイス大会で開催。以降は除外され、16年リオ五輪で112年ぶりに正式種目に復帰。今夏のパリ五輪は男女各60選手が出場し、「ル・ゴルフ・ナショナル」で72ホールのストロークプレーで個人戦のみ開催。リオ大会で初出場の日本男子は池田勇太が21位、片山晋呉は54位。当時、世界ランク9位のローズ(英国)が金メダル。21年東京五輪は松山が4位、星野陸也が38位で当時、世界ランク5位のシャウフェレ(米国)が金メダルに輝いた。
JGA「選手がリクエストしたものに応えていきたい」
日本ゴルフ協会(JGA)の担当者は17日、松山の発言を受けてパリ五輪のサポートについて「基本的には(前回)東京大会と同レベルの支援体制に持っていきたい」と語った。選手が宿泊する家を用意し、会場への移動手段も手配している。食事面ではシェフを派遣し、料理を提供する方針。選手個々により、家族や独自でシェフが同行する場合には食材を提供するという。「選手がリクエストしたものに応えていきたい」と同担当者。代表選手が決まったばかりということもあり、本大会2週前の全英オープン(7月、英国)後の調整場所などについても、ヒアリングして今後詳細を詰める方針という。「我々はこういうサポートを考えています、というコミュニケーション(が大事)かなと思います」と強調した。