「キング」アーノルド・パーマー氏死す…長嶋茂雄氏と対談も 


アーノルド・パーマー氏と対談する長嶋茂雄氏(1984年9月)

アーノルド・パーマー氏と対談する長嶋茂雄氏(1984年9月)

 プロゴルフでメジャー7勝、米ツアー通算62勝を挙げて「キング」と呼ばれたアーノルド・パーマー氏が25日、米ペンシルベニア州ピッツバーグの病院で死去したと米国ゴルフ協会が発表した。87歳だった。AP通信によると、死因は心臓疾患による合併症。1950年代半ばからジャック・ニクラウス氏(76)、ゲーリー・プレーヤー氏(80)とともに「ビッグスリー」として活躍し、ゴルフ人気を飛躍的に高めた。日本では、名前を冠し傘のマークをあしらった服飾品ブランドでも知られた。

 パーマー氏は22日から心臓の検査で入院していた病院で、息を引き取った。晩年はゴルフ場でもカートでの移動が主になるなど、体力の衰えは顕著だった。今年4月のマスターズでは「ビッグスリー」による恒例行事の始球式「名誉スターター」を「永遠に続けていたいが限界がきた」と辞退。会場に姿は見せたが、関係者に支えられての登場だった。

 5人兄弟の長男として育ち、ゴルフ場のグリーンキーパー兼クラブプロだった父の影響で7歳からクラブを握った。1954年に全米アマチュア選手権を制して、プロ転向。ルーキーだった55年に初優勝を飾ると、58年のマスターズで初のメジャータイトルを獲得。60~63年には計29勝を挙げ「キング」の愛称も得た。67年には米ツアー史上初めて通算獲得賞金100万ドルを突破した。

 60年の全米オープンでは、伝説の逆転劇も生まれた。首位と7打差で迎えた最終ラウンド。7番までに6バーディーを奪い、メジャー3勝目を手中に。この後、攻撃や突撃を意味する「チャージ」がパーマー氏のトレードマークになった。

 「ビッグスリー」がしのぎを削った60年代は、テレビのスポーツ中継が急増した時代とも重なった。カリスマ性にあふれた力強いプレーと陽気な性格でファンを魅了し、「アーニーズ・アーミー」と呼ばれる熱狂的なファンが生まれるなど、社会現象にもなった。

 メジャー通算7勝を挙げたが全米プロでは優勝できず、「グランドスラム」(4大大会制覇)には届かなかった。4度の優勝を果たしたマスターズでは、74歳となる2004年まで50回連続出場記録も樹立した。

 74年に「ビッグスリー」でそろって世界ゴルフ殿堂入り。後年はビジネスでも成功し、世界各地でコースの経営や設計に携わった。日本では、名前を冠した服飾品ブランドも開発され、赤、黄、白、緑の4色の傘のロゴマークが広く浸透した。富裕層の道楽だったゴルフを大衆のスポーツに変身させた最大の貢献者であり、ゴルフの枠、スポーツの枠を超えた米国の一時代のヒーローだった。

最新のカテゴリー記事