担当したのは、プロ入りの翌年から合計5年間。絶頂期も、どん底で苦しむ姿も間近で見た。どんな時も藍を支えたのは、両親と2人の兄の愛だった。
スランプに陥った07年の秋。ドライバーは曲がり、自慢のパットも入らない。予選落ちが続くと、コーチでもある父・優さん(71)の前で「もうゴルフをやめたい。練習もしたくない」と泣き腫らした。父は練習を強要しなかった。ただ優しく声をかけた。「まだ22歳。練習もできないなら、最低限のことから始めればいい。人生は長い。ゆっくり行こうよ」
涙の告白から数か月後、母・豊子さん(66)は30年以上も続けた沖縄県職員の仕事をやめた。娘のサポートに専念するためだった。「聖志も優作も本当に藍の心配をしました。宮里家の心はいつもつながっているんです」。米ツアー4年目、09年7月のエビアンマスターズで悲願の初優勝。家族で泣いた。
一時代を築いたヒロインの引退は残念でならない。ファンや選手、関係者も同じだろう。ずっと心配し、励まし、ともに戦い続けた両親は、少しだけ安心しているかもしれない。(04~07、16年担当・高橋 宏磁)