田中さんの周りには面白い人が集まる。おもしろい、というのはモノの言い方であって おかしなヒトという意味とは違う。そのエージシュートにこだわる姿勢に共鳴すると、そこに仲間意識が芽生え一緒になってエージシューターをめざす仲間が生まれた。
野球の神様、川上哲治さんもその一人。1920年、熊本県人吉生まれ、そう、首位打者5回、ホームラン王、打点王ともに3回。巨人軍監督時代の14年で9連覇を含む11回のリーグ優勝、あの神様である。川上さんは余生をゴルフと釣りに徹したが、ハンデ7、エージシュートは11回をかぞえる名手だった。そんな関係で田中さんとはゴルフ仲間。同じ仲間には藤田元治、中村稔といった巨人のV9時代を支えた名投手らもいたが、エージシューターになったのは川上さんと田中さんの二人だけ。肝胆相照らす二人だけに通ずるこんな交友がある。
「川上さんは投手のスピードボールが止まって見えたとおっしゃってますが、ほんとうですか?」あるとき田中さんが聞いた。すると、神様は「ハイ、150キロのスピードボールが止まって見えた」あの野太い、独特の低音で答えると身をのりだして答えた。「球がだんだん近づいて大きくなるとピタッと体の正面で止まって見えた。私は右手を伸ばし次いで左が伸ばしインパクト。球がバットの芯に乗る瞬間も見えました」―ホームランはすべてそんな感覚だったとも。
川上さんはゴルフも左打ち、と断ることもないが、川上さんの右手、右打ちの田中さんの左手はインパクトを作る大事な手だ。田中さんはこのことを直接聞いた時からインパクトでしっかり伸び切った左手の大切さを知ることになる。「バックスイングからトップ、インパクトまで伸びた左手は案内人。インパクトとは左手の伸びきったところである」―そして以来、基本中の基本となり今では金科玉条となった。
ただし、球が止まって見えたというテーマは、曖昧のままだ。なぜならゴルフは球が止まっている。野球と比べればはるかにインパクトを作りやすいはずだが、この点に関しては、問題は解決を見ていない。なぜならこの話には落ちがある。「そんな川上さんだが、止まったゴルフの球はどうしても迎えにいくんだなあ、と悩んでいらっしゃった」というからゴルフはわからないのである。
150キロで投げてくるから負けじと打ちたくなる。すると球を迎えに行く、突っ込むなど自分が動いてしまう。川上さんはその境地を球がだんだん近づいて、最後は止まって見えるまでに凝縮した。しかし、その川上さんでも止まっている球には手を焼くのがゴルフであり難しさなのだ。
川上さんのゴルフはショットの正確さが際立って迫力だった。しかし、ショートパットに苦しんだらしい。「監督主催の大会やコンペには声をかけていただき、晩年は家も近いので(車でご一緒する)アッシーも務め親しくお付き合いいただいた。ショートパットがお上手だったら今の3倍は、エージシュートは増えていた」と懐かしんだ。インパクトにこだわりショートパットを磨く田中ゴルフを野球の神様が支える。面白い仲間のおかげだ。
◆田中 菊雄(たなか・きくお) 1935年3月3日、島根・松江市生まれ。83歳。神奈川・川崎市を拠点にリフォーム、食品など5社、社員400人を抱える「北山グループ」取締役会長。東京・よみうりGCなど4コース所属、ハンデ5。初エージシュートは06年8月、71歳のとき静岡・富士国際富士コースを70で回った。173センチ、65キロ。