額賀辰徳、初の日本シリーズ切符 原監督の復帰喜ぶG党「いつの日かグータッチを」


額賀辰徳は念願のツアー初優勝を果たして(手前右から)長男・智也君、次男・大雅君とガッツポーズで喜んだ(カメラ・今西 淳)

額賀辰徳は念願のツアー初優勝を果たして(手前右から)長男・智也君、次男・大雅君とガッツポーズで喜んだ(カメラ・今西 淳)

 ◆男子プロゴルフツアー 三井住友VISA太平洋マスターズ最終日(11日、静岡・太平洋C御殿場C=7262ヤード、パー70)

 3打差3位で出た額賀辰徳(34)=フリー=が1イーグル、4バーディー、2ボギーの66で回り、通算9アンダーでプロ13年目の初優勝。プロ野球の巨人ファンで原辰徳監督(60)の復帰を歓迎する飛ばし屋が今季最終戦のメジャー、日本シリーズJTカップ(29日開幕・東京よみうりCC)初出場を決めた。

 美しく雪化粧した富士山のように、額賀の心は晴れ渡った。最終18番、2メートルのバーディーパットを沈めてホールアウト。2つ後ろの最終組で首位だった秋吉が17番ボギー、18番ダブルボギーと崩れ、最大4打差がひっくり返った。初優勝者は今季13人目。「優勝は意識していなかった。まさか勝てるとは。このままゴルフをやっていても…と葛藤のある時期だったので、モヤモヤが晴れました」。観戦に訪れていた愛息の智也くん(8)と大雅くん(3)を表彰式で抱き上げ、満面の笑みで記念撮影に納まった。

 「誰よりも飛ばしたいと思ってきた」。565ヤードの3番パー5で、グリーン左30ヤードからの3打目をチップインイーグル。難易度1位だった510ヤードの6番パー4では、残り151ヤードから5アイアンで3メートルにつけて伸ばした。この日の平均飛距離は全体1位の309ヤードを記録した。

 過去5度の出場で予選落ち2度、最高は16年の43位と相性が悪かったが、松山英樹が監修を務めてコースが改修された。「ドライバーで打っていけるホールが増えて、すごいやりやすかった」。今大会前には松山に加え「兄貴」と慕う宮里優作らと練習ラウンドした。前週から取り組む「長くインパクトゾーンを迎えるフェースの使い方」などを、松山とも話しながら改良。「英樹にも感謝しなくちゃいけないですね」と笑った。

 「辰徳」の名前は地元・鹿島神宮で授かった。中学まではサッカー少年で「鹿島のサポーターでジーコが好きでした」。ただ「野球は巨人ファン」で、10月に原監督の復帰が決まると「お会いしたことはないですが好きですし、また巨人戦を見ようかな」と歓迎した。「いつの日かグータッチをしてもらえたら。次に勝った時とかかな」。日本シリーズで初の日本タイトルを奪取した時“W辰徳”の初対面が実現するかもしれない。(榎本 友一)

 ◆額賀 辰徳(ぬかが・たつのり)1984年3月28日、茨城・鹿島町(現鹿嶋市)生まれ。34歳。中学まではサッカー部で14歳でゴルフを始め、中央学院大時代の04年の日本オープンでローアマを獲得。08年のPRGRカップなど下部ツアー4勝。09年(54位)、15年(61位)にレギュラーツアーの賞金シードを獲得。09、10、12、15年のドライビングディスタンスでツアー1位。家族は妻と2男。183センチ、80キロ。

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