驚異のエージシューター田中菊雄の世界137 武藤一彦のコラム-不死鳥はよみがえった


 記録は破られるためにあると誰が言ったか知らない。が、スポーツ界は記録が次々に生まれ、さらにその記録を上回って活気が出る。しかし、同時に作られた記録が終わるのもスポーツの現実である。悲喜はこもごも、常に背中合わせである。
 わがエージシュート名人が8月から9月にかけ連続40回の連続エージシュート達成の快記録は前回紹介した。8月2日から9月17日までの約1か月半の40ラウンド、そのすべてを名人は見事、連続エージシュートで締めて見せた。ゴルフが生まれて1000年。いま高齢化社会も加わって元気で長生きが人生のテーマ。ゴルファーの間ではエージシューターが注目されるが、連続記録となるとさすがに聞いたことがない、その詳細は前代未聞の出来事として前回ご紹介した通りだ。
 だが、田中さんの記録も9月18日のことだった。静岡県・太平洋御殿場ウエストコースにおいて47、42の89打、年齢85歳を上回ること4オーバーでついに途絶えた。連続記録は41回目を記録することなく終わったのである。

 

 当日は初ラウンドのコースをキャディーもつけないラウンドだったとあとで聞いた。霊峰富士を望む高原のコースは、ベントグリーン、フェアウエー、ラフはライグラスの洋芝である。いきなり47を叩いてインで巻き返しをはかったが 前半の大たたきを取り返せなかった。
 田中さんによると「台風の影響で大風が吹いた。御殿場ウエストコースは初ラウンド、当日キャディーさんがいなくてさすがに様子がわからなかった」という。普段、キャディーとはしっかり情報交換する田中さん、キャディーなしラウンドはマイナス要因だった。練習ラウンドということだったのでスコアを取らないのかと思っていたが、プロの試合ではない。スコアを取ってのいつも通りのエージシュート挑戦の真剣勝負だったときいて驚いたが、あとの祭りとはこのことだ。貴重な、連続記録がいともあっさりと途絶えて茫然としたものである。

 

 この2か月、連続記録を心から喜び、嬉々として過ごす8、9月の名人は迫力があり見ていて楽しかった。それだけに、記録が途絶えると、何か大事なものを失ったような虚脱感に襲われた。御本人はけろりとして「風が強くてOBにもっていかれちゃって」とこだわっていないだけに、悔しさが倍増した。

 

 登録者数51万人のゴルフチャンネル国内1位のYouTubeチャンネル「UUUMGOLF」から「シニアゴルファーのためのゴルフ上達法と飛ばしの秘訣をぜひ伝授願いたい」-そんな取材依頼が飛び込んだのはエージシュートが600回余になった7月のはじめ。日頃、シニアゴルフ世代の元気を先頭立って推進、日本エイジシュートチャレンジ協会を立ち上げ会長を務める田中さんのドキュメント番組が企画された。司会進行役はゴルフマスコミにひっぱりだこの芹沢信雄プロ。ツアー公式戦の日本プロマッチプレー選手権など13勝、シニア1勝の人気プロだ。「一緒に18ホールを回ってエージシュートに挑戦しながらシニアの元気を伝授して」といわれれば後に引けない。撮影日は10月16日、コースは御殿場ウエストと決まれば、そこは行動派、「練習ラウンドをしておこう」と仲間を伴っての練習ラウンドとなったのだった。挑戦は裏目と出た。台風余波の強風で40ラウンド連続は途絶えた。しかし、エージシューターは不滅だ。気を取り直した2日後の9月20日、ホームコースのよみうりGC、木更津GCで連日エージシュートを達成660回の大台へ。さらに10月には6日間かけ釧路へ遠征、その回数を670回の大台に乗せたのだった。不死鳥はよみがえった。

 

 ◆田中 菊雄(たなか・きくお) 1935年3月3日、島根・松江市生まれ。85歳。神奈川・川崎市を拠点にリフォーム、食品など5社、社員400人を抱える「北山グループ」取締役会長。東京・よみうりGCなど4コース所属、ハンデ5。初エージシュートは06年8月、71歳のとき静岡・富士国際富士コースを70で回った。173センチ、65キロ。