ポスティングシステムによるメジャー移籍を目指し元日に渡米した巨人・菅野智之投手(31)が、出発前に米男子プロゴルフツアー日本人歴代最多5勝の松山英樹(28)=LEXUS=と新春対談を行った。13年オフにスポーツ報知の対談で初対面して以来、親交が深い2人の対談は3年ぶり3度目。心・技・体、未来予想図などたっぷり語り合った。(取材・構成=高木恵、榎本友一、片岡優帆)
■肉体改造必要か
菅野(以下、菅)「アメリカのツアーを見て思うけど、全体の飛距離が伸びてるよね。『飛ばしが正義だ』みたいな」
松山(以下、松)「半分以上の選手が平均310ヤード以上飛ばしますね。その割合を見ると、自分もそのレベルにいった上でさらに精度も高めないと、というのはすごく感じています。飛ばせて曲がらなければアドバンテージになるので。そのためにやることはたくさんあります」
菅「野球も年々、打者が進化しているし、投手のレベルも上がっている。前までなら150キロくらい投げておけば多少甘くなってもファウルとか空振りを取れたけど、今はプロ野球全体の平均球速も上がっていて、150キロ台後半を投げる投手もたくさんいる。150キロくらいで真っすぐに自信があると思わない方がいい」
松「昨年はブライソン・デシャンボーが肉体改造して体を大きくして、ものすごい飛距離を出した。それにつられて他の選手もクラブを長くしたり、飛ばせるようにいろんなことをやったんです。僕がバンカー手前に刻むところを、外国人選手はオーバーしてグリーン近くまで飛ばして簡単にバーディーを取る。例えばパー4で僕がアイアンで刻んで精度で勝負しようとしているところを、デシャンボーはワンオンしてイーグルを取る。こっちは3・5の計算が向こうは2・5の計算だと、もう太刀打ちできない。それを見ると、トレーニングも変えないといけないのかな、と思いますね」
菅「今の日本人選手で、それができるのは松山くんだけじゃないかな。全米オープンの時のデシャンボーはすごかったもんね。昨年度は1年間で何試合出た?」
松「21試合です。昨年はコロナ禍で一度、ツアーが中止になって6月に再スタートしましたが、しんどかったですね。ホテルの部屋に入ったらまず除菌シートでテーブルとか自分が触るところは全部拭いて。外出もしないですし、毎日部屋で晩ご飯を食べて。チームの同じメンバーとしか食べないので、だんだん会話がなくなって。自分の調子が良くないとみんなも暗くなるし、次の日も朝早いしみたいに考えると、どんどん気持ちは落ちていきました」
菅「出る試合は全部、優勝を狙うわけだよね。あれだけ出場選手がたくさんいて、勝者は優勝の1人しかいない。2位以下は全員負けでしょ。それはつらいだろうなと。ゴルフは4日間あるし。気持ちの持ち方とか難しいだろうなと思う」
松「僕はアメリカで7年プレーしています。PGAツアーはゴルフの最高峰ですし、スポットで日本人選手が来ると、最低でも日本人トップにいないといけない、そうしないと自分のプライドが許さない、みたいなのはありますね。若い選手だと昨年は金谷がアメリカに来ましたけど、負けたくないというより、興味本位で見ていました。どこまでやるんだろうなあって」
菅「僕が(20歳の)戸郷を見ている感覚と一緒だろうね。いい選手ではあるけど、どれぐらいやるのかなあって。昨年は戸郷は絶対にシーズン後半に失速すると思っていたから。フィジカル的にね。それは本人にもずっと言っていた」
松「僕は21歳の時からずっと『時間がない』と言ってきました。28歳になるまであっという間でしたし、実際メジャーで1勝もできていません。これから年齢を重ねていけば、もっとシーズンが早く感じると思いますし、オンとオフの切り替えというか、休息も大事になってくるのかなと思っています。トレーニングも一気にやりすぎるのではなく、小さな変化を積み重ねていければと思っています」
菅「僕は19年に腰をけがして昨年は投球フォームを変えたけど、プロ8年目で平均球速が一番速かった。他のいろんな数字も向上している。20代の時と比べて年齢による衰えはあまり感じないし、まだまだ伸びしろはあると思っている。毎年同じことを繰り返しやるのは退化だと思うし、日本の球場もマウンドがどんどん硬くなったり、その時の状況によって順応していかないといけない。変化しないで、このままでいいやって思うことが一番怖いから」
松「僕は野球が好きで、いつも結果を気にして見ています。菅野さんがメジャー移籍でも日本残留でも、ずっと応援しています」
菅「ありがとう。どこでプレーすることになってもやるべきことは変わらないからね。お互い、いい年にできるように頑張ろう」
◆菅野 智之(すがの・ともゆき)1989年10月11日、神奈川・相模原市生まれ。31歳。東海大相模高、東海大から2011年ドラフトで1位指名された日本ハムに入団せず、12年ドラフト1位で巨人に入団。昨年はプロ野球新記録の開幕投手から13連勝。最優秀防御率4度、最多勝3度、最多奪三振2度、最高勝率1度のタイトルを獲得。14年、20年にMVP。17年から2年連続沢村賞。ベストナイン4度、ゴールデン・グラブ賞4度受賞。17年WBC日本代表。186センチ、92キロ。右投右打。
◆松山 英樹(まつやま・ひでき)1992年2月25日、愛媛・松山市生まれ。28歳。4歳からゴルフを始め、東北福祉大1年でアジアアマ選手権を制し、日本人アマ初のマスターズ切符獲得。11年マスターズは27位でローアマ獲得。同年の三井住友VISA太平洋マスターズで日本ツアー3人目のアマV。プロ転向した13年は4勝でツアー初の新人賞金王に輝く。同ツアー通算8勝。米ツアー日本男子歴代最多5勝。17年全米オープンで日本男子メジャー最高タイの2位。17年6月には世界ランクも日本男子最高の2位。181センチ、88キロ。家族は妻と1女。
■菅野取材後記 ゴルフが大好きな菅野は「69」という好スコアを出したこともある。プロ級の腕前だが、趣味と職業では全く別だと強調。世界の舞台で一打一打、重圧と闘っている松山に「野球は打者が打ち損じてくれることがあるけど、ゴルフはたまたまいい結果が出て優勝って絶対ないと思う。4日間たまたまは続かないよね」と話して敬意を示していた。
14年1月の初対面以来、いつか一緒にラウンドすることを互いに熱望。菅野は「夢です」とも話していた。今オフ、それがついに実現。初めてゴルフコースを一緒に回った菅野は「当たり前ですけど、松山くんはめちゃくちゃうまかったです」と刺激を受けた様子だった。
ポスティングでメジャー挑戦という多忙なオフを過ごす中、菅野は松山と会うことを楽しみにしていた。尊敬しあう2人で共有した時間は貴重な財産になったに違いない。(片岡 優帆)
■松山取材後記 今回が3度目の対談になる。初対面から7年。2人は互いの世界でトップを走り続けている。言葉の端々に相手へのリスペクトがにじんだ。今回も、菅野にだからこそ飛びだした松山の本音がいくつもあった。
7年連続のツアー選手権進出が決まった時のことだ。「俺、家帰る」。チームを離れ、フロリダの自宅に帰ったという。「それまで成績が出ていなかったのでホッとした」。一人になる必要があった。1日だけ何もせずに心身を休め、最終戦が行われるアトランタに向かった。米ツアーを戦うことの過酷さと、孤高の日々が伝わってきた。
つかの間のオフにかなった菅野との初ラウンドは、松山に新たなエネルギーをもたらしたことだろう。そもそもラウンド自体が久しぶりだった。「急いで仕上げなきゃ」と、その日を待ちわびた松山の目は、少年のように輝いていた。(高木 恵)