【再録】松山英樹、初出場でアマ史上2人目のアンダーパー…2011年マスターズ


2011年マスターズ、第4ラウンド最終日、関係者からトロフィーを受け取る松山英樹(右)

2011年マスターズ、第4ラウンド最終日、関係者からトロフィーを受け取る松山英樹(右)

◆米男子プロゴルフツアー メジャー21年初戦マスターズ最終日(11日、米ジョージア州オーガスタナショナルGC=7475ヤード、パー72)

 4打差11アンダーの単独首位で最終日を迎えた松山英樹(29)=LEXUS=が、日本男子初となる悲願のメジャー制覇を達成。通算10アンダーで初優勝した。初出場した2011年マスターズを振り返る。所属は当時。

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◆米男子プロゴルフツアーメジャー第1戦 マスターズ最終日(2011年4月10日、米ジョージア州・オーガスタナショナルGC)

 74で回った松山英樹(19)=東北福祉大2年=は初出場のアマチュアでは大会史上2人目となるアンダーパー(1アンダー)で27位に入った。シャール・シュワーツェル(26)=南アメリカ=が14アンダーでメジャー初優勝した。2番でマスターズ初イーグルを奪った石川遼(19)=パナソニック=は大会自己ベストの70をマークし、通算3アンダー。メジャー最高位となる20位フィニッシュを飾った。

 18番で3メートルのバーディーパットを沈めた松山は、思いを込め右手をオーガスタの空に突き出した。パトロンのスタンディングオベーション、鳴りやまない拍手に何度も頭を下げ続けた。「歓声にゾクゾクした。自分の気持ちがすごく高まった」。初出場のアマチュアでは1978年のリンディー・ミラー以来、史上2人目となるアンダーパーへの返り咲きを、最終ホールで決めた。

 2日連続で公式会見に呼ばれた。海外メディアから「プロ転向はいつだ?」と質問が飛んだが「大学に残ります。今年のアジアアマチュア選手権で優勝して、ここに戻って来られるよう頑張りたい」と、またアマとしてこの舞台に立つことを宣言した。

 東日本大震災の被災地、仙台の大学に通う。出場を後押しした何百通ものメールやファクスをファイルにとじて持参した。「毎日見て、自分を奮い立たせていましたね」と大学ゴルフ部の阿部靖彦監督。「こんなにゴルフをして疲れた1週間はなかった。(100ある力のうち)200くらい出した」。頑張っている姿を届けたという思いが、限界値を引き上げた。

 ローアマとして優勝者のシュワーツェル、前年覇者のミケルソンと共に日本人として初めて表彰式に出席し「遼より先ですね。スコアは負けたけど」と笑顔を見せた。シルバーカップを贈られ「日本の被災地はまだまだ大変だけど、マスターズでのプレーが希望と喜びを少しでも与えられたと思います」とスピーチ。この日2度目の総立ちの拍手をもらい、サインを求める行列までできた。

 グリーンジャケットを羽織る勝者の姿を間近で眺め「いいなあ着たいなあ」とポツリ。「その時までは日本のスーパーで緑の偽物を買って着てるっス」。人生を大きく変えた4日間の戦いを終え、最後は学生の顔に戻った19歳。初めて立った夢舞台で、目指すべきものがまた一つ増えた。

 ◆賞金はゼロ アマチュアの松山は賞金を手にすることができない。ちなみに松山を除く27位タイの選手は5万4400ドル(約462万円)を獲得している。ローアマを表彰して贈られたシルバー・カップは、後日名前を刻印したものが贈られる。

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