◆女子プロゴルフツアー KKT杯バンテリンレディス 最終日(17日、熊本・熊本空港CC=6499ヤード、パー72)
プロ6年目の植竹希望(23)=サーフビバレッジ=が通算8アンダーに並んだ4人のプレーオフ(PO)を6ホール(H)目で制し、涙の初優勝を遂げた。POは1988年のツアー制施行後、最長となる2時間の死闘だった。98年度生まれ“黄金世代”10人目の優勝者となり、ツアーに初出場した14歳から全試合に同行し、支えてくれている母・和美さん(51)に恩返しを果たした。
西日が差した午後4時2分。18番でのPO6H目で植竹が2メートルのバーディーパットを決めた。正規の3番から花粉症対策で着けたマスクを外し、両手を突き上げた。「うれしいの一言に尽きます」と喜び、98年度生まれの「黄金世代」10人目のツアーVにも「ずっと勝てなかった。でもやっと10人目になれてよかった」。18番グリーン周りの観客席から見守った母・和美さんが目頭を押さえる姿を見つけると涙があふれ出た。
午前9時に出て計7時間2分、24Hを戦い抜いた。「一日長かった」。単独首位で迎えた17番でアプローチを寄せきれず、ボギーで後続に並ばれた。だが、POの緊迫感で役立ったのが、3月に2位だった明治安田生命レディス後、「プレーが遅い」とSNSで指摘され、前戦から変えたパット前のルーチン。打ち出しを明確に決めて打つのではなく、「距離感だけ出すように」改善した。これが奏功し、PO2H目では第1打を左林に入れて観客から悲鳴のような声が上がるも3メートル半のバーディーパットを決めた。6H目、最後のパットは打った瞬間に「入る」と確信した。
母子二人三脚で歩んできた。植竹が高校2年の春、両親が離婚。家計が苦しくなり、ゴルフを続ける事が難しい状況に陥った。それでも和美さんは「好きな事を頑張ってほしい」との思いで、仕事を掛け持ちして金策に走りながら、娘が出場する試合には必ず同行。全てをささげてきた。
植竹も高校卒業までゴルフ場で受付のアルバイトに励んだ。「母とはたくさんけんかもした。でもずっと裏切らず応援してくれた。私にはまねできない。尊敬している」と涙ながら感謝を込めた。
学生時代から多くの男子プロに教えを受け、特定のコーチをつけず“独学”で手にした鋭いスイング。ツアー通算41勝の森口祐子(67)が見込むほどだ。16日にはそのレジェンドから「人のゴルフは変える事はできないから、自分に集中しなさい」と助言を授かり、スコアに結びつけた。
そんな黄金世代の大器は「『1勝で終わった』と言われないよう早く2勝目を挙げたい。(海外)メジャーも若いうちに出たい」と、これからの“希望”を描いた。(宮下 京香)
◆水泳経験が強烈スイング生んだ…植竹希望はこんな人
植竹は0歳の時、母・和美さんに連れられ、ベビースイミングを始めた。専門種目は自由形。東京・江戸川区の「スポーツクラブAZ」にバスで通い、力をつけた。母いわく、「(競技の)育成選手に呼ばれた」ほど。水泳で得たバランス感や肩回りの柔軟性は、“女子選手にはいない”と言わせるスイングにつながる。
プロテスト受験予定の妹・愛海さんと共にゴルフ、水泳で鍛錬してきた。植竹の持ち球はドローだが、愛海さんはフェードが得意。母から見て、性格も妹は「天然」に対し、姉は「ストイック」だという。
植竹は幼少時から運動神経抜群と思いきや、スキップができなかった。それでも幼稚園時代にお遊戯会に備え、母と毎日「くたくたになるまで」猛特訓し、苦手を克服。何事にも努力を惜しまない姿勢が、母子で手にした初優勝につながった。