元野球少年・岩田寛がVで甲子園決勝に挑む仙台育英ナインにバトンつなぐ「僕の思い届いて」


優勝カップを掲げる岩田寛(カメラ・今成 良輔)

優勝カップを掲げる岩田寛(カメラ・今成 良輔)

◆男子プロゴルフツアー 長嶋茂雄招待セガサミーカップ 最終日(21日、北海道・ザ・ノースカントリーGC=7178ヤード、パー72)

 2015年大会覇者・岩田寛(フリー)が通算19アンダーで逃げ切り、ツアー通算4勝目を飾った。1打差首位で出て6バーディー、1ボギーの67で回り、石川遼(14年、19年)に続く2人目の今大会2勝目をつかんだ。優勝後、主催者のお祝いで、ビールを中ジョッキで一杯飲み干し「ドライバーがひどかったけど、パッティングが良かった。たくさんの方の前で優勝できて、とても幸せです」と美酒に浸った。

 20日の第3ラウンドを首位で終え、母校・仙台育英高が高校野球・夏の甲子園で決勝進出を決めたことを知ると「一緒に優勝したい」と普段は寡黙な男が静かに燃えた。1番でバーディー発進すると、9番では8メートルの下りのスライスラインを決めきった。13番で第1打を左前の木に当ててボギーとし、一時、後続に1打差まで詰められたが、18番パー5で2オンし、2メートルのウィニングパットを決めて振り切り、控えめにバンザイ。22日の決勝に挑む育英ナインに最高のバトンをつないだ。

 14歳でゴルフを始める前は野球少年だった。小学3年で野球を始め、キャッチャー、中学ではショートを守った。中学の途中でスケートボードにのめり込み、さらにはゴルフでアマ選手だった厳しい父・光男さんに高校では「スケボーをしたい」と言えずに「とっさにゴルフ(をします)」と伝えたことがきっかけで転向したが、1980年度生まれで“松坂大輔世代”の41歳は、今でも野球が大好きだ。

 ゴルフ部がある高校で選んだのが、仙台育英高だった。「クラスには野球部がいっぱいいました。友達ができてからは楽しかったです」。高校時代は3年間、甲子園のアルプス席には、自身のゴルフ部の活動で応援に行けなかったことを残念そうに明かす。今大会を初めて制した15年に、仙台育英は決勝に進んだが、東海大相模(神奈川)に敗れ、準優勝。それだけに今回、7年ぶりに甲子園決勝に挑むナインとの“アベックV”を強く望んでいた。

 7年前、仙台育英は佐藤世那(元オリックス)が投手の柱としてけん引した。「家から30秒ぐらいで、地元の子だったので応援していました」とより熱が入ったという。翌日の下関国際(山口)との東北勢初の頂点を目指した決勝へ「勝ったら新たな道が切りひらかれる。記事を見て育英ナインに僕の思いが届いてほしい。監督と自分を信じて」とエールを送った。「人混みが苦手なので」と甲子園には行けないが、明日の午後2時からテレビの前で全力応援する。

 ◆岩田 寛(いわた・ひろし)1981年1月31日、宮城・仙台市生まれ。41歳。シニア認定プロの父・光男さんの影響で14歳から始める。仙台育英高、東北福祉大を卒業。2004年にプロ転向。06年に賞金ランク62位で初シード。14年フジサンケイクラシックでツアー初優勝。15年に入れ替え戦を経て米ツアーに参戦し、17年に国内復帰。好物は仙台名物・牛タンではなく豚肉。177センチ、74キロ。

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