驚異のエージシューター田中菊雄の世界174 武藤一彦のコラム


 エージシュートは、87歳時の2023年3月2日現在、1163回に達した。71歳で初めて達成したエージシュートとはすでに17年の付き合いとなった。1935(昭和10)年3月3日生まれの田中さん、今年の3月3日でついに88歳、米寿を迎えた。

 

 その87歳の1年を振り返っておこう。いろいろなことが起こった。昨年3月3日、87歳シーズンのスタートはよみうりゴルフ倶楽部を43,42の85で回り87歳のスタートを飾り、通算985回を達成。24日には91歳のエージシューター遠藤芳作さんらとのラウンドは、「記念に挑戦意欲を込めて」バックティーから回り41,41の82、エージシュートに5アンダーの好スコアで通算1000回目の大台へ気を吐いた。遠藤さんはゴールドティーから90のエージシュートと同組2人がエージシュートの快挙で盛り上がったことは、いずれ紹介することとし、ここは田中さんに絞ると、この好スタートの後は、9月までの7か月間で月平均20回余を記録、回数を順調に伸ばし10月末には1145回と絶好調のシーズンが気持ちよく過ぎたものだった。
 ところが、その勢いは11月中旬のアクシデントで止まった。田中さんは体調を崩し入院。幸い軽症で、3日で退院後、4日目でラウンドを再開。だが、ブランクは勘を失なわせたよう。以後、エージシュートは暮れの27日に1回記録しただけで記録は停滞したことはすでに既述の通りだ。その後、年が変わり1月は6回を記録したものの、2月はついに1回だけ、6日に1163回目を出したにとどまったのだった。

 

 いや、こう書くと深刻な状況に聞こえるだろうが、そこは名人の域に達した世界である。いつに変わらず明るく、さばさば、日常は変わらず、「エージシュート道」をひたすら突き進むのである。即ち、2023年に入って1月は2日からラウンド開始、降雪でコースがクローズした3日、通院日を入れても休みは10日だけ。「そんな毎日ラウンドじゃお金がかかって大変でしょうといわれますが、元気でゴルフができて健康をいただいている、病気になったらこの数倍の治療費がかかるのだから私にとっては健康維持のための必要経費です」とさらり。ラウンドはワンラウンド1万5千歩をノルマの”医療費軽減ラウンド“の実践である。
 そんな姿に周囲もこんな具合だ。2月6日、1163回目のエージシュートは3男の雄三さん、その長男で孫の陸雄さん、そして筆者の4人でよみうりGCを回り43,43、86をさらりと出して見せた。孫の陸雄さんはその前日、医師免許試験を終えいよいよ医師としてのスタートとあって“ゴルフを教えたおじいちゃん”として「花向けのエージシュートだ」と門出を祝って見せたのであった。

 

 ある先人は、「年齢と同じか、それ以下のスコアで回るエージシュートは、ゴルフゲームの究極の楽しみ方である」と言って次のような取り組み方を進めている。「ゴルファーならだれでも描く夢の第1はシングルプレーヤーになること、次いでホールインワンをやること、最後はエージシュートにたどり着く。シングルになるには努力がいるが、ホールインワンは初ラウンドでやってのけた幸運なひとがいるように運が作用する。それを体験したのち、高齢となったあとは、肉体的にも技量にも優れていなければならないからエージシュートだ。元気で長生きが何よりの条件となるのは超人でなければできない最も難しいことに取り組むのだ」― 名人の生き方にその生き方が垣間見られる。米寿を迎えた新シーズンが始まった。

 

 ◆田中 菊雄(たなか・きくお) 1935年3月3日、島根・松江市生まれ。88歳。神奈川・川崎市を拠点にリフォーム、食品など5社、社員400人を抱える「北山グループ」取締役会長。東京・よみうりGCなど4コース所属、ハンデ5。初エージシュートは06年8月、71歳のとき静岡・富士国際富士コースを70で回った。173センチ、65キロ。