驚異のエージシューター田中菊雄の世界176 武藤一彦のコラム


 日本プロゴルフ界のベテラン中村寅吉がプロ初のエージシュートを記録したのは1981年4月15日。群馬・鳳凰GC、6065メートル(当時はメートル表示)、パー72で行われたシニア競技の公式戦「関東プロシニア選手権」の第1ラウンドだった。65歳の中村は1番、パー5をイーグルの好スタート、4番でボギーをたたくが、6,9番をバーディーのアウト32。インは11番をボギーもすぐ12番バーディーでとりかえし、13,15番のパー3、17番バーディーの33。トータル1イーグル、7バーディー、2ボギーの7アンダー65。歯切れのよい見事なプレーで日本初のエージシューターとなった。だが、歴史は深く、予測がつかない魔物だ。中村の記録が世界的な快挙に結びつくのに時間はかからなかった。日本ゴルフ界にうれしい誤算が連発され、歴史がつながった。

 

 当時のプロ競技の世界記録を調べると、1978年4月、65歳11か月のサム・スニード(米)が、テキサスのオニオンクリークGC、6021メートル、パー70を64のエージシュートに1アンダー、さすがスニードは違う、と感心したら、ことは思わぬ方向へ動く。スニードをすごい存在と思っていたら、中村はその記録をことごとく上回る快挙であった。
 中村の記録は、そのエージシュート達成年齢で6か月、スニードをしのぐ65歳5か月の世界記録。さらにアンダーパー記録もスニードの記録がパー70のコースのため、エージシュート6アンダーに対し、中村の方はパー72と難度が高くエージシュート7アンダー。「やったー」と日本中が手を打ってよろこんだのだった。
 “寅さん”の愛称で人気の中村は1957年のカナダカップで団体、個人に優勝、日本にゴルフブームを引き起こした伝説のレジェンド、関東プロの優勝は、意地と誇りの生んだ快挙だった。「65歳になって本来ならグランドシニアに出場だが、俺は50歳代のシニアの部で頑張り続けた。意地を張ってなければエージシュートなんてできなかったね」関東プロシニアは通算で4回も優勝。「65歳で50代の若者と張り合うこだわりがエージシュートにつながった。意地と誇りの65だ」と胸を張る。 
 パー72のコースを65打、実に,エージシュートに7アンダーというビッグスコアということが分かり大騒ぎ。当時の米ツアーの記録を大きく上回る快挙に寅さんは興奮「カ杯優勝よりはるかにうれしい」と喜び、大会は伝統の公式競技、スポンサー競技だったアメリカをしのぎ「世界的快挙」と当時のマスコミは大騒ぎした。後日、その快挙を祝い日本ゴルフ界を挙げて850人のパーティーを開催し祝った。寅さんがカナダ杯から24年たって記録したエージシュートは、日本のプロゴルフが成熟期を迎えたことの証明だった。
 以来、シニア競技のエージシュートは公式記録として今日までほぼ半世紀の記録が積み重ねられている。そんな中から主だったエージシュート記録を拾っておこう。

 

 寅さんの65歳の快挙で思い起こすのは2007年秋、熊本・くまもと中央CCで行われた「日本シニアオープン」。その最終日、65歳の青木は7アンダー65のコースレコード、エージシュートの“2重奏“をやってのけ、首位から6打差、5位から一気に逆転、優勝に結び付けエージシュートという、“耳慣れない語句”が青木によって日本中のゴルファーの脳裏にしみ込んだものだ。シニアゴルフ史上に残る大逆転ドラマのあと、青木は73歳までの9年間で15回にわたってエージシュート人生を謳歌。2014年、青木のライバル、台湾の謝敏男が74歳で73、同15年、三好隆は64歳で63、さらに伊藤正己は2019年、63歳で箱根シニアプロ(箱根CC)を62。エージシュートは日常茶飯の出来事になった。シニアの世界は以来、2022年現在1000回余のエージシュートを生み出し50歳以上のシニアによって構成されるエージシュート天国である。シニアツアーは年齢別で争う世界、60歳以上をグランドシニア、さらに68歳以上はゴールドシニアと年齢区分し、高齢化社会を元気に生き抜く、その線つに立って引っ張っている。

 

 長寿記録についても触れておこう。
 2022年現在の日本プロゴルフ協会(PGA)シニアツアーガイドブックによるレジェンドたちのエージシュートランキングは以下の通り。

 

〇エージシュート個人別ランキング
①古市 忠夫   40
①高橋 勝成   40
②小野 光一   26
③小針 春芳   23
④石井 哲雄   20
⑤陳  清波   20
⑥上田 悌三   18
⑦海老原清治   17
⑧青木  功   15
⑨山田 弥助   12
⑩昼川三津男   12

 

 以上、エージシュート軍団といっても良いシニアツアーの世界である。頑張っているのは驚異のエージシューター田中菊雄さんだけではない。高齢化社会を元気で長生きはみんなのテーマ。元気なプロの世界を知ってもらい、ゴルファー諸氏、諸嬢は生き方の指針としていただきたく、紹介した。次回から田中さんの世界をまたのぞきます、ご期待ください。

 

 ◆田中 菊雄(たなか・きくお) 1935年3月3日、島根・松江市生まれ。88歳。神奈川・川崎市を拠点にリフォーム、食品など5社、社員400人を抱える「北山グループ」取締役会長。東京・よみうりGCなど4コース所属、ハンデ5。初エージシュートは06年8月、71歳のとき静岡・富士国際富士コースを70で回った。173センチ、65キロ。