驚異のエージシューター田中菊雄の世界178 武藤一彦のコラム


 軽い脳こうそくの影響でエージシュートの達成回数は86歳時の年間246回には及ばず、87歳時は年間178回にとどまった田中さん。だが、その復調ぶりには目を見張らせるものがあった。
 コロナの終息が叫ばれ始めた3月3日のことだ。その日、田中さんは88歳の誕生日を迎え大張り切り。ホームコースのよみうりGCを85、通算1165回目のエージシュートを見事3アンダーで飾った。だが、驚きはそれだけではなかった、この日、一緒に回った同伴競技者の94歳、遠藤芳作さんも89、年齢に5アンダーのエージシュート達成、自身、520回目を決め2人そろってのエージシュートである。コースは喜びに沸きかえったのだった。

 

 遠藤さんは東京世田谷の祖師谷で老舗の米穀店を3店経営する“名物ゴルファー”。東京国際CC所属。遠藤さんのエージシュートは、使用ティーをゴールドティに絞り、それこそ回るたびにエージシュートというツワモノだった。ゴールドティは田中さんの白ティーより290ヤードほどヤーデージ(コースの総距離)が短いが、エージシュートに変わりない。関東のゴルフ界では知らぬもののいない名物ゴルファーである。
 ここで遠藤さんの名前、芳作である。「ほうさく」と読む。明治時代から続く老舗のお米屋さんだから豊作(ほうさく)。まさに縁起の良い、エージシューターにふさわしいお名前の持ち主。かくして田中さんはよきライバルを得て大張り切りである。
 「90歳を過ぎて元気はつらつ。スコアへのこだわりはゴルフの強さにつながって球は飛ぶ。エージシュートへのこだわりは誰にも負けないと思っていたが、目標ができた、遠藤さんには元気をもらいました」と感謝した。こんなことを言った。「今や人生は100歳時代。まさに遠藤さんは時代を先取りして歩いていらっしゃる。励みになります」―世の中は広い、深いということか。
 71歳で初エージシュートを達成して18年、田中さんの周辺はにわかに賑やかになった。エージシュートは田中さんだけのものではなくなった。こんなことが起こった。3月22日、第3回の「エージシュートチャレンジ大会」のことである。エージシューターが3人も出そろったのである。

 

 ◆田中 菊雄(たなか・きくお) 1935年3月3日、島根・松江市生まれ。88歳。神奈川・川崎市を拠点にリフォーム、食品など5社、社員400人を抱える「北山グループ」取締役会長。東京・よみうりGCなど4コース所属、ハンデ5。初エージシュートは06年8月、71歳のとき静岡・富士国際富士コースを70で回った。173センチ、65キロ。