驚異のエージシューター田中菊雄の世界183 武藤一彦のコラム


 88歳の田中さんのエージシュートは2023年6月、1200回の大台を越えた。71歳のとき70で回って始まったエージシュート人生は18年目を迎え順調な足取りを刻んだ。手応えがあるのだろう。田中さんの動きは、至極、軽やかで充実感がいっぱいである。エージシュートは自分のトシと同じか、トシよりも少ないスコアで18ホールをプレーする競技である。だが、その担い手は、人生100年の長寿社会の真っただ中を前向きに闘志満々、堂々と歩んで、たくましい。

 

 ある日、そんな視点でプロゴルフ界を眺めると、あるレジェンドが浮かび上がった。トラさんこと中村寅吉プロである。そう、1957年、日本で初開催の国際競技カナダカップで堂々、世界を相手に団体、個人に優勝、日本ゴルフ界はこの快挙をきっかけとして世界屈指のトーナメント王国へ。世界制覇したトラさんは160センチの小兵を神業のパットで補い日本のエースとして伝統の公式戦、日本プロ4勝、日本オープン3勝、関東プロ3勝、関東オープン7勝と日本のメジャー競技は軒並み制し、シニアになってからも65歳で若い50歳代の部に出場、「ゴルフに年齢はない」とエージシュートにこだわるのだった。そして、65歳の時、そのときが訪れた。トラさんはエージシュートを達成するのである。

 

 わが中村寅吉の日本初のエージシュートは1981年4月15日、群馬・鳳凰GC、6065メートル、パー72で行われた国内公式戦「関東プロ・シニア選手権」の第1日、生まれるベくして生まれた。カナダ杯優勝から25年、中村は65歳になっていた。が、衰えを知らぬ、したたかなシニアプロに成長していた。1番パー5でイーグルを出す好調なスタートを切りアウト32、インも33。1イーグル、7バーディー、2ボギーの7アンダー65は、日本人プロが初めて歴史に名を刻む第1号エージシューターの誕生。見事だった。

 

 プロ競技のエージシュートの世界記録は1979年、名手サム・スニード(米)が67歳の米レギュラーツアー「クオードシティ・オープン」に出場、66のエージシュートで世界中を驚かせたのが初めて。さすがスニード。若い現役世代のツアーに参戦するや、あっさりとエージシュートでアピールする当たりスターは違うのである。しかし、トラさんはもっとすごい、そんなスニードの記録をこともなげに上回った。二人はそんなお互いをリスペクト試合、「サム!」「ピート!」と呼び合う仲。互いを認め合い生涯、美しい友情を温めあった。

 

 中村のエージシュートはシニアの公式戦優勝に加え優勝スコアはトラさんの年齢と同じ65歳、しかもスニードの記録を1打更新する世界最少記録である。公式戦(メジャー競技)初のエージシュートと最少記録の“ダブル快挙の偉業”である。ホールアウト後、トラさんは「エージシュートになるとしたら今回がチャンスと頑張った。夢が実現した。おれ個人の力でエージシュートがやれた。カナダ杯は周囲の応援で勝たせてもらったが、今回は自力で勝った。本当にうれしい、誇らしい」と興奮を隠さなかった。「でも、皆さんは65歳で65がすごいというが、そりゃあ、戸籍上のはなしであって、俺には関係ねえ。本人は65歳とは思ってねえからエージシュートもできたんだよ」と独特の論拠を展開したのは有名な話である。凡人には理解できないが、トラさんの勝負師としての魂がエージシュートをひきよせ、時代のヒーローを生んだと受け止めた。

 

 神奈川・横浜の生まれのトラさん。身長160センチ、65キロと小柄ながらパットの神様といわれる巧者。初エージシュートの後しっかりリードを守りの最終日には通算36勝目を挙げて完全優勝。この時点で40勝の尾崎将司、39勝の杉原輝雄、そして青木功の36勝に並び歴代勝利数のトップ3入りを果たした。
 そしてエージシュートは、この時代、圧倒的に選手層の厚いアマの専売特許。中でも80歳を越えるシニアゴルファーで霞ヶ関CCの会員のトップアマ倉重清久(霞ヶ関CC)が、14回で最高。次いでトラさんが1983年、67歳で66、87年71歳の時68で3回とただ一人、エージシュートを3回もだしたが、この2人が傑出して日本ゴルフ界のすべて。だが、そんな中、同じ87年シーズンの後半にはカ杯でコンビを組んだ小野光一が68歳で68の初エージシュートを達成、プロ2人目に名乗りを上げるとプロの世界にも以降、続々とエージシューターが生まれた。そのことはまた改めて取り上げることとする。
 そして、ここはわがトラさんである。エージシュートは89年、74歳のとき71をマークして4回目、90年74歳、73で5回,92年77歳、76で6回、そして93年、78歳時に77で7回目をマークしてその栄光のエージシュートロードに幕を下ろした。聞くところによるとプライベートのラウンドでもエージシュートにはこだわったという。その数は年間100回をゆうに越したという。

 

 ◆田中 菊雄(たなか・きくお) 1935年3月3日、島根・松江市生まれ。88歳。神奈川・川崎市を拠点にリフォーム、食品など5社、社員400人を抱える「北山グループ」取締役会長。東京・よみうりGCなど4コース所属、ハンデ5。初エージシュートは06年8月、71歳のとき静岡・富士国際富士コースを70で回った。173センチ、65キロ。