驚異のエージシューター田中菊雄の世界184 武藤一彦のコラム


 エージシューター日本一を決める「第4回チャレンジカップ」は9月11日、東京・多摩丘陵の桜ケ丘カントリークラブ、男子6343ヤードのレギュラーティー、女子5655ヤードのフロントティーに122人が参加、年齢をハンデキャップとする「エージシュート方式」で争い、男子の部は83歳の伊藤正幸さんがグロス76、エージシュートに7アンダーの大会史上最少スコアで完全優勝を飾った。
 2位、86歳の吉田幹夫さんに9打差の圧勝だった。3位は80歳の西内昭雄さんが2オーバーでならび、年長の吉田さんが2位、西内さんが3位。大会4連勝を目指した注目の最高齢88歳、田中菊雄さんは92、エージシュートに4打及ばず4位だった。女子優勝は76歳、菊池榮子さんが88で回り、全体の10位に食い込む健闘で女子の部を制した。

 

 話題豊富な充実した大会となった。午前7時45分アウトの第1組は田中、伊藤、それに日本の43都道府県、55か国の1000コースラウンドという話題の“ラウンドコレクター”平野征人さん夫妻という話題いっぱいの4人が同組となって注目を集めた。そんな中で伊藤さんは1番をパー、2番でバーディーの好スタート、4番パー5をダブルボギーとするが、5,6,7番をパー、8,9番を連続バーディーのアウト35はプロと思わせる迫力。インは41の76で圧勝した。
 68歳のとき68のエージシュートを達成。以来、16年でエージシュートは「この日で560回くらい」という筋金入りのゴルファーだった。ゴルフ場数では日本屈指の千葉県の松戸市在住。「競技ゴルフ志向。エージシュートをやってからは、競技ゴルフでのエージシュートが目標。田中さんのオーケーなし、完全ホールアウトのこだわりに共鳴、今回参加した」と気力充実。「会心のラウンドだった」と静かに振り返った。

 

 同伴競技者の平野征人さんは83歳、日本、世界のコースを渡り歩き、なんと1000コース踏破という記録の持ち主。この世界では有名人だ。妻の律子夫人とそろって参加。エージシューター田中さんの評判を聞いていて今回兵庫県西宮市からはるばる参加したのだった。日本ゴルフ協会のハンデ5、10コースに所属するゴルファー。だが大阪府立大時代はヒマラヤの7000級に初登頂した日本を代表する登山家だった。
 山とコース。世界は全く違うようだが、登山とゴルフ、戦略を立て攻略するところは共通点。自然に挑戦するという点でも平野さんの中では違和感がなかったのかもしれない。

 

 初ラウンドは1967年冬、地元兵庫カントリー。300ラウンドは1988年、米出張で訪れたバハマのリゾートコース。500ラウンド目は1992年、地元兵庫。700回目はインドネシア、900回目は1998年マレーシア。そして1000回目は、2000年4月、タイ・プーケットのブルー・キャニオンCCだった。2000年4月、60歳のとき、そのラウンドしたコースは、なんと1000コースに達した。回ったコースは国内1都1道2府、43県、日本全国。海外は55か国、2地域にわたった。
 「なんでそれほどラウンドにこだわったのですか?」と聞くと「そこに、ゴルフコースがあるからだ」と自然に口から出る言葉は、エベレストを初制覇した名登山家、英・登山家ヒラリー郷の名言「そこに、山があるからだ」を思い起こし登山家とゴルファーの共通点が示され納得した。平野さんにとって山もコースも登る、プレーするという行動上、まったく同一線上、違和感がないのか、と納得する。

 

 1000コース達成記念して発行した小冊子「そこに、コースがあるからだ」で平野さんは、こう述べている「ピッケルをゴルフクラブに持ち替えて32年、スコアや技術より、ひたすら初コースへの挑戦、1000コースという“ひらの式ゴルフへのこだわり”を達成できて満足」と。そこに山があるから登る。コースがあるからプレーする。山もコースも一期一会、一生に一度の出会いを追及、そこに価値観を見出そうと懸命な取り組みがひたむきで共感したことである。
 田中さんである。伊藤さんに王座を譲り平野さんの底知れないスタミナに「刺激をもらった」と表情は明るい。エージシュートは好調に1240回を越えた。8月は29ラウンド中、27ラウンドでエージシュートを達成した。この間、休んだのは土砂降りでプレーできなかった一日と完全休養した一日だけ。88歳は絶好調である。

 

 ◆田中 菊雄(たなか・きくお) 1935年3月3日、島根・松江市生まれ。88歳。神奈川・川崎市を拠点にリフォーム、食品など5社、社員400人を抱える「北山グループ」取締役会長。東京・よみうりGCなど4コース所属、ハンデ5。初エージシュートは06年8月、71歳のとき静岡・富士国際富士コースを70で回った。173センチ、65キロ。