
初優勝を飾った勝俣陵は優勝トロフィーを手に笑顔を見せた(カメラ・・星野 浩司)
◆男子プロゴルフツアー パナソニックオープン 最終日(28日、大阪・泉ヶ丘CC=6993ヤード、パー71)
プロ9年目の勝俣陵(29)=ロピア=が初優勝を飾った。単独首位で出て1イーグル、4バーディー、4ボギーの69で回り、通算20アンダーで制して優勝賞金2000万円を獲得した。中学2年時に野球をケガで断念し、ゴルフを始めた遅咲きながら、20代ラストイヤーに悲願を果たした。今季ツアーの初優勝は8人目。メジャー最終戦の日本シリーズJTカップ(報知新聞社主催、12月4~7日)の出場権をつかみ、「メジャーで勝ちたい」と野望を掲げた。
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バケットハットをかぶった勝俣の目には涙があふれた。最終18番で短いパットを沈めて初優勝をつかむと「頭の中が真っ白になった」。ツアー仲間から大量の水をかけられ「あ、優勝したんだという気持ちになった」とようやく実感した。自身に内緒で駆けつけた妻・あやかさん、1歳11か月の長女に祝福され、「すごくうれしい。涙が勝手に出てきた」と男泣きした。
のしかかる重圧をはねのけた。3打差リードで出た最終日最終組。勝俣は14番でチップインイーグルを決め「(後続と)4打差になり、安心してしまった」と15、16番は1メートルのパットを外して連続ボギー。「相当しんどかった」と振り返る17番で5メートル、18番は3メートルに寄せて確実にパーを拾い、1打差で逃げ切った。
大会中は日課の銭湯に通い「塩サウナで毎日全身に塩をぬりたぐって、変なものをはらって神頼みをした」とニヤリ。前夜は「緊張してたので、いつもの半分くらいの30分で切り上げた。最後はどんなガッツポーズしようかな…と考えてた」と言うが、優勝を決めた瞬間は頭が真っ白に…。思い描いていた派手なガッツポーズは見せられなかった。
4年前からともに合宿しているツアー31勝の片山晋呉から、最終日前夜に電話で激励された。この日朝には「誰でも緊張やミスをする。冬にやった練習は緊張した場面でできることを教えてる。しっかり出し切ってこい」とLINEでメッセージ。「緊張してたのが一気になくなった」と“師匠”に感謝した。
中学時代は埼玉・上福岡リトルシニアで野球に励み、投手や外野手として活躍。だが、両膝の故障で断念した。14歳でゴルフを始めて4~5ラウンド目で80台を出して頭角を表し、埼玉栄高では土日に1500球を打ち込んだ。
名門・日大の同級生や後輩が優勝する中、自身は17年プロ転向から勝てない日々が続いた。中学時代からの間柄で、23年に結婚したあやかさんに「優勝は先かもしれないけど、家族を養えるように頑張る」と伝えると、「自分のペースでゆっくり上に上がっていけばいい」と返ってきたという。20代最後の年に初V。「うまくいかず、結果を出せなくて長く感じた。20代で1勝したかったので良かった」とかみしめた。
名前も出身地も同じ石川遼(カシオ)とは、ともに練習を行ったり、21年の関西オープンで石川のキャディーを努めたこともある。前週のANAオープン後には、北海道から東京へ同じ飛行機で帰った際に「俺は休みだから、頑張ってね」と激励された。ツアー20勝の背中を追う1勝に「次のリョウくんは僕だぞと言いたい。バケハ(バケットハット)のリョウで覚えてもらえれば」とニヤけた。
今季8人目の初優勝者として、JTカップの出場権を得た。自身初出場となるメジャー最終戦に向け「あの真っ赤な(優勝)ジャケットを着たい。出るからには優勝を目指して頑張りたい」。次はメジャーを制し、最高のガッツポーズを決める。(星野 浩司)
◆勝俣 陵(かつまた・りょう)1995年12月27日、埼玉・三芳町生まれ。29歳。中2まで甲子園出場を目標に野球に励んだが、両膝の故障で断念。父の勧めで14歳でゴルフを始めた。埼玉栄高3年時の13年に関東高校選手権で団体・個人2冠、同年は団体で全国制覇。日大3年時の16年に埼玉オープンで優勝。17年にプロ転向。22年に三井住友VISA太平洋マスターズで3位、初シードを獲得。23年5月に結婚し、同年10月に長女が誕生。趣味は買い物。174センチ、73キロ。