
尾崎将司さん
男子ゴルフで国内最多のプロ通算113勝(うちツアー94勝)を挙げた尾崎将司さんが23日、S状結腸がん(ステージ4)のため死去した。享年78歳。プロ野球選手からプロゴルファーに転身し、デビュー2年目の1971年の初優勝から「ジャンボ時代」を築いた。73年に初代賞金王に就き、94年からの5年連続を含む歴代最多12度の賞金王に輝いた。2010年には世界ゴルフ殿堂入り。19年を最後にツアー大会への出場はなく、近年はアカデミーを開き、後進の育成に尽力した。
長男の智春氏が24日、以下の通り発表した。「約1年前に診断後、本人の強い意志により自宅療養を続けてまいりました。ここに生前のご厚誼を深く感謝し 謹んでご通知申し上げます。葬儀につきましては 故人の遺志により 近親者のみの家族葬として執り行います。誠に勝手ながら ご香典 ご供花 ご供物ならびに弔問の儀は 固くご辞退申し上げます。なお、後日お別れの会の開催を予定しております」。
尾崎さんは豪快なプレーで一時代を築いた。恵まれた体格から放つ圧倒的な飛距離で他を寄せ付けなかった。プロ野球・西鉄を実働3年で退団。1970年4月のプロテストに合格し、プロゴルファーとなった。71年9月の日本プロでの初優勝から3か月で5勝と、ジャンボ時代が幕開けした。
73年に初代賞金王に輝き、同年のマスターズでは東洋人初のトップ10入りとなる8位と健闘した。8打差逆転が4度もあるなど奇跡的なプレーを演じ、カリスマ性でファンを魅了した。派手なファッションでも話題を呼んだ。80年代前半に低迷期があったが復活すると、94年からの5年連続を含む計12度の賞金王の座を死守した。
ライバルの青木功、中嶋常幸とともに「AON」の黄金時代を築き、男子ゴルフの人気をけん引した。96年ダンロップフェニックスでは前人未到のプロ通算100勝を達成し、勝利数を113(ツアーは歴代最多94)まで伸ばした。2002年の全日空オープンでは55歳で、73年のツアー制施行後の最年長優勝を記録した。弟・健夫(愛称・ジェット)、直道(愛称・ジョー)、飯合肇、川岸良兼らトッププロを率い「ジャンボ軍団」を結成し、ツアーを席巻した。
10年には世界ゴルフ殿堂入り。66歳で迎えた13年の大会で62をマークし、年齢以下のスコアで回るエージシュートをツアーで初めて達成した。シニアには行かず、レギュラーツアーにこだわった。ツアー出場はプロ50年目の19年11月ダンロップフェニックス(棄権)が最後となった。近年は17年11月に開設した千葉市内のジャンボアカデミーで弟子たちの成長を見守った。女子の原英莉花、笹生優花、西郷真央ら門下生が活躍した。
恒例のオフの取材機会で、24年2月には「できるだけいい環境で子どもたちに練習してもらいたい。オレの楽しみ? 最近は週一回、フグを食うことくらい」と笑顔で話していた。20年初めの新型コロナウイルス禍以降、「この4年間、人生の中でギャップが大きかった」とツアー復帰には消極的な姿勢を見せていた。
◆尾崎 将司(おざき・まさし)1947年1月24日、徳島・宍喰町生まれ。78歳。徳島・海南高(現・海部高)3年の64年センバツで甲子園優勝投手に。翌年ドラフト1位で西鉄入り。通算0勝1敗。実働3年で退団した。名前を「正司」から「将司」に変える。70年にプロゴルファーに転向。71年日本プロで初優勝。通算113勝(ツアー94勝)で賞金王に12回輝く。国内メジャー大会は20勝。生涯獲得賞金は26億8883万円で歴代1位。愛称「ジャンボ」。181センチ、90キロ。

