【藍のメモリー】(5)悩んでいる時は必ず声掛けてくれた…有村智恵語る


6月のサントリーレディス練習日に談笑する有村(左)と宮里藍

6月のサントリーレディス練習日に談笑する有村(左)と宮里藍

 彼女がもともと持っているゴルフ以外のもの、人柄もすごいなと東北高(宮城)の時から感じていました。人一倍の努力家で、人前に出る時は必ず話す言葉を準備している。英語もすごく勉強しているなと米国で一緒にいて思いました。「宮里藍」という存在が周りの人にどう思われているかを彼女自身も分かっていた。期待以上に応えられる何かを返す努力を、すごい重圧の中でやっていたんでしょう。

 私は高校進学の時から2年先輩の彼女の背中を追いかけ、まねしていたら、いいところまで来た。逆に彼女はどんなことを思いながら、私のような後輩が後ろにいっぱいいる中で、前に誰もいない中で、道を切り開いていったのだろうか。背負っている重荷はすごかっただろう。感謝しかありません。

 米国にいた期間(13~16年途中)は、よく顔を合わせていました。いつも気に掛けてくれて、私が何か悩んでいる時は必ず向こうから声を掛けてくれた。周りを見て気配りができる人。エビアン選手権が最後の試合にすると決まった時、「智恵と回れなかったのが心残り」と連絡をいただきました。試合ではもう回れないけど、米国で練習ラウンドとかたくさん回らせてもらい、プライベートでもチャンスはある。「全然気にしてないです」と伝えました。

 彼女は何をやっても正確にやり遂げる人。プロゴルファー以外の宮里藍を見られるのが楽しみ。とにかく自分の持っているものを出し切って戦ってほしいです。(構成・岩原 正幸)

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