【担当記者が見た】「家族の支え」に涙した笹生優花、21年の初制覇後に芽生えた女王の自覚


父・正和さんと写真に納まる笹生優花

父・正和さんと写真に納まる笹生優花

◆米女子プロゴルフツアー メジャー第2戦 全米女子オープン 最終日(2日、米ペンシルベニア州ランカスターCC=6583ヤード、パー70)

 全米女子オープンで日本人初のメジャー2勝目を達成した笹生優花は「家族の支えなしにはここにいられなかった」と涙を流した。幼少時には母の母国、フィリピンに渡り、父・正和さんとの二人三脚でゴルフの腕を磨いた。21年大会を制覇後、チャンピオンとしての自覚も芽生えた。

 昨年8月、茨城で行われた笹生が主宰するジュニアイベントで、父・正和さんは笹生の涙について「最近泣いたのは21年の全米女子オープンだな。日本で2勝した時も笑っていた。通過点だったから」と話した。そして今回の涙―。世界最高峰大会の重み。周囲への感謝の気持ちが表れた。

 笹生親子は全米制覇後の22年初め、ニュージャージー州にあるUSGA(全米ゴルフ協会)ミュージアムに招待された。同協会主催の男女全米オープン、ジュニア、アマ、シニアの勝者の名が刻まれている場所だ。1枚の紙には「USGA会員の心得」が書かれていた。内容は「“横綱の品格”っていうのかな。いろんな人に恩返しの行動を取らなきゃいけないとかね」(正和さん)。そのことがジュニア向けレッスン会を現役中に始めるきっかけになったそうだ。

 前回の優勝後、フィリピンを訪問すると、一つのゴルフ場に400~500人、笹生見たさに集まる英雄のような扱いだったという。移動はヘリコプターで、切手も作られた。「ウェルカムバック・ユウカ」と行く所々で歓迎された。

 華々しく見える全米女王の原点は、涙を流すほど過酷なトレーニングにある。ポーラ・クリーマー(米国)に憧れ「プロになりたい」と小3前から父とフィリピンへ移住。13歳の米国の大会で年上の今大会優勝を争ったA・リー(米国)に飛距離でおくれ、悔し泣きした。そこから泣きながら父のメニューをこなす日々が始まった。60キロのバーベルを10回5セット、5キロの重りを胸につけての腹筋など。正和さんが「父親を恨まない。憎まない」と誓約書を書かせたほどだ。おかげで年々飛距離が増した。

 現地では英語習得のために、日本円をペソに替え、現金を持って先生の家で語学の猛特訓に励んだ努力家だ。フィリピン行きを決断した時、父は言った。「優花、何でも一番になるには大変なんだよ。プロゴルファーになりたいなら、他に好きなことを全部辞めなきゃいけない」。この日流したのはゴルフ人生の全てが詰まった、うれし涙だった。(岩原 正幸)

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