
バンザイをして喜んだ、初優勝の稲垣(カメラ・渡辺 了文)
◆女子プロゴルフツアー リゾートトラストレディス 最終日(1日、徳島・グランディ鳴門GC36=6585ヤード、パー72)
トップから出た早大卒の稲垣那奈子(24)=三菱電機=が2バーディー、3ボギーの73で回って通算7アンダーで逃げ切り、初勝利を飾った。日本女子プロゴルフ協会によると、東京六大学卒業者のレギュラーツアー優勝は初めて。早大卒としては男女通じて初。2000年度生まれの「ミレニアム世代」で6人目の勝者となった。海外メジャーの全米女子オープンと同週で有力選手が不在の大会で、プロ2年目がチャンスをものにした。
ウィニングパットを沈めた稲垣は、右手で口を覆った。真っ先に浮かんだ感情は「うわ、優勝しちゃった」。幼なじみのプロ仲間、山口すず夏(24)らの祝福を受け、ようやく成し遂げたことの意味を知ると、途端に涙がこみ上げた。24歳の“ワセジョ”は、六大学卒の女子プロで初のツアー優勝者になった。
初の最終日最終組にも動じなかった。リーダーボードは18番グリーンまで見なかった。「カメラマンさんがついてくれていたので、上位にいると薄々感じていた」。冷静に思考を巡らせた。6、7番の連続ボギーで後退も、表情を変えることなく淡々とプレーを続けた。12番パー3でピン右5メートルのカラーからパターでねじ込みバーディー。混戦を抜け出し、逃げ切った。
母・宣子さん(58)が「意志が強い。親から言われて曲げるようなところはない」と口にする芯の強さがある。高校3年でのプロテスト受験を周囲から勧められたが、譲らなかった。中学時代に腰椎分離症に見舞われた。「頭も技術も体力も、向上してからプロテストを受けたかった」。アスリート選抜入試で早大スポーツ科学部に進学し、腰痛治療研究の第一人者の金岡恒治氏のゼミで学んだ。「全てが糧になっている。間違っていたことはないと今感じている」と口にした。
「優勝」と名のつくものは21年の関東女子学生選手権以来。「雲の上の存在」という古江彩佳、西村優菜らと同じ2000年度生まれのミレニアム世代で、6人目の勝者となった。最高位は14位、トップ10なしから一気に手にした1勝だった。「強くてみんなから愛されるゴルファーになりたい」という那奈子の漢字は、両親が姓名判断の先生を助言を元につけたもの。「最後は大成する」という思いが込められている。大学生活の4年間は決して回り道じゃなかった。プロ転向から14戦目。24歳が大輪の花を咲かせた。(高木 恵)
◆稲垣 那奈子(いながき・ななこ)
▼生まれ 2000年8月24日、埼玉・川口市生まれ。24歳
▼学歴 共立女子第二高―早大卒
▼ゴルフ 10歳のときに両親の影響で始める
▼早大時代 箱根駅伝で活躍した井川龍人と同じ授業を受けたことがあり「テレビで応援していた」
▼オフ 3年連続でプロ野球の中日・涌井秀章投手、巨人・横川凱投手らと自主トレ。「自主トレのためのトレーニングが必要」というほどの走り込みで心身強化
▼96期生の優勝第1号 23年に菅楓華、政田夢乃らとプロテストに合格。同期で最初の1勝
▼お守り キャディーバッグに大阪・関西万博のキャラクター「ミャクミャク」のボール入れがぶら下がっている。下部ツアーのパー4でイーグルを決めた際のボールが入っている
▼趣味 音楽鑑賞とドライブ
▼特技 スキーと水泳
▼サイズ 164センチ
▼血液型 B
▼家族 父・陽夫さん(61)、母・宣子さん(58)
大卒女子プロ少数派…高卒即プロが主流 日本女子プロゴルフ協会のプロテスト受験資格は「最終プロテスト開催年度4月1日時点で満17歳」。多くの選手が高校3年時にプロテストを受けるため、大卒プロは少ない。
アマチュア優勝が過去に8人と、ピークの訪れは早い。年少優勝の記録を見ると、10代での優勝は40回にのぼる。大学に進学して遠回りするよりも、即プロの土俵で戦うことを選択する選手は多い。大学進学後にプロテストを受けるには学生の試合を欠場しなければならないことになり、大学4年時まで機会を待つことがほとんど。稲垣は卒業した年の23年、2度目の挑戦でプロテストに合格した。