
岩井ツインズの比較表
◆米女子プロゴルフツアー ポートランド・クラシック 最終日(17日、米オレゴン州コロンビアエッジウォーターCC=6497ヤード、パー72)
岩井明愛(あきえ、23)=ホンダ=が米ツアー本格参戦1年目で初優勝を飾った。単独首位で出て6バーディー、ボギーなしの66で回り、通算24アンダーで逃げ切った。賞金30万ドル(約4410万円)を手にした。双子の妹・千怜(23)=ホンダ=は5月に優勝しており、主催の米女子プロゴルフ協会によると双子での制覇はツアー史上初の快挙で、姉妹Vは4組目。今季米ツアーで日本勢の優勝は前々週のメジャー、AIG全英女子オープンを制した山下美夢有(24)=花王=に続き2戦連続、5人目となった。
最終18番。4メートル強のバーディーパットを強気にねじ込んだ岩井明は、両手を広げてガッツポーズを見せた。歓喜の涙がこぼれ、妹・千怜らに祝福のシャンパンをグリーン上で豪快にかけられた。同行する両親とも歓喜の抱擁。最終日は妹の猛追を受けたが「全然、気づかなかった。でも、今日の岩井明愛には勝てなかったと思う。最後まで自分に集中して、自分に打ち勝てたのがうれしい」と浸った。
2打差の単独首位で出ると5番、6番で連続バーディー。10番で後続に一時、1打差に迫られたが、圧巻は14番パー4。残り約100ヤードの第2打を1メートルに寄せ、突き放した。18番のパット時にようやく「勝てそうだな」と米初勝利を確信し、2位に4打差をつける快勝劇。表彰式では「英語のスピーチが一番緊張した」とほほ笑んだ。
三度目の正直でリベンジを果たした。2月のホンダLPGAは1打差2位。4月のJMイーグルLA選手権は最終18番で3メートルのパーパットを外し、またも1打差2位に泣いた。だが、この時に「緊張感の中で戦うと、ボールが右に行く」と課題に気づいた。それから4か月。この日は3番で4メートル、4番も2・5メートルのパーパットを沈めてピンチをしのぎ「(前回の経験が)生きた」と深くうなずいた。
姉妹優勝は4組目、双子Vは米ツアー75年の歴史で初の快挙だ。いつも一歩先を走る妹を追いかけてきた。22年に千怜が先に国内初優勝から2週連続Vを飾り、自身は約8か月後に初勝利。米ツアーでも妹に先を越され「焦りはあった。勝てるのかなと不安もあった」と吐露したが、3か月後に初Vをつかんだ。「いつも心のどこかに千怜がいる」。普段はトランプやハンバーガー店巡りを楽しみ、コースでは一番近くて最強のライバルと高め合っている。
欧州男子ツアーでは、デンマークの24歳・ラスムス(5勝)とニコライ(3勝)のホイガード兄弟が双子Vを達成しているが、米男子ツアーでも達成者はいない。岩井明は「メジャーで勝ちたい。今季の残りは千怜と一緒に何勝かしたい」と高らかに宣言。「明るく、愛されるように」―。そう命名された明愛は、妹とともに“世界最強ツインズ”として米国を席巻する。
◆岩井明に聞く
―バーディー合戦を勝ちきった
「(号泣し)途中きつかったけど、アグレッシブにプレーした。本当に自分に勝てたのがうれしかった」
―今日のプレーは緊張を感じなかった
「内心ちょっと緊張していたし、プレッシャーもあったけど、今年負けた分がいい経験になってきた」
―妹が先に勝って焦りはあったか
「あった。今年は勝てそうで勝てない試合が、本当に悔しかった。千怜が優勝して(自分は)勝てるのかなという不安はあった。でも、自分のやるべきことをやれば大丈夫とは思ってた」
◆米女子ゴルフツアーの姉妹V
▽ソレンスタム(スウェーデン) 姉のアニカ(メジャー10勝含む72勝)&シャーロッタ(1勝)
▽ジュタヌガーン(タイ) 姉のモリヤ(3勝)&アリヤ(メジャー2勝含む12勝)
▽コルダ(米国) 姉のジェシカ(6勝)&妹のネリー(メジャー2勝含む15勝)
▽岩井 姉・明愛(1勝)&妹・千怜(1勝)
◆主な双子アスリート
▽宗兄弟(マラソン男子) 兄・茂、弟・猛は1970~80年代に活躍。茂は五輪は76年モントリオール20位、日本がボイコットした80年モスクワは代表選出。84年ロサンゼルスはともに出場し、猛が4位、茂は17位。
▽荻原兄弟(ノルディックスキー複合) 兄・健司は92年アルベールビル、94年リレハンメルで五輪団体2連覇。98年長野は弟・次晴と兄弟同時出場し、団体5位。
▽佐藤兄弟(サッカー) 兄・勇人はJ1千葉などでMF、弟・寿人は広島などでFWとして活躍。日本代表は兄が1試合、弟が31試合出場。06年8月のイエメン戦では日本代表で兄弟同時出場も果たした。
▽湯元兄弟(レスリングフリースタイル男子) 兄・健一、弟・進一は12年ロンドン大会にこの競技で日本初の五輪同時出場。兄は08年北京大会の60キロ級で銀メダル。弟は12年大会で55キロ級銅。
▽設楽兄弟(陸上) 兄・啓太、弟・悠太は東洋大時代に箱根駅伝で活躍。弟は18年にマラソン日本新記録を樹立。