
尾崎将司さん
男子ゴルフで国内最多のプロ通算113勝(うちツアー94勝)を挙げた尾崎将司さんが23日、S状結腸がん(ステージ4)のため、死去した。78歳だった。スポーツ報知の元ゴルフ担当記者が偉大な足跡を悼んだ。
ジャンボの第2次全盛期のさなか、故郷・徳島の見所や名物を語ってもらう取材を申し込んだ。しかし「何にもないよ。特におれの所(故郷の宍喰町=現・海陽町)なんか、本当に何もないんだ」と伏し目がちに断られた。海と山に囲まれ自然豊かな土地なのだが、引け目すら伝わってきた。
米国でも似たような顔をたびたび見た。広大な練習場で探すと、常に端っこの打席にいた。ホテルの部屋にこもり、日本から持ち込んだレトルト食品で夕食を済ますことも珍しくない。日本と違う芝や環境、英語にストレスをためていた。
そんなコンプレックスの塊だったからこそ、ゴルフ界の頂点に君臨できたのだろう。センバツ優勝投手としてプロ野球の西鉄に入団しながら、3年間で登板20試合、0勝1敗で防御率4・83。打者に転向しても通算46打数3安打、打率0割4分3厘に終わった。1996年のダンロップフェニックスでプロ通算100勝を挙げた際に「本当は野球でこんな実績を残したかったのでは」と聞くと「プロ野球でなれなかった日本一になってやる、という思いでやってきたんだ」と、にらまれたことを思い出す。
豊富な練習量と造詣を深めた道具で、豪快なショットや奇跡的なアプローチを数多く生んだ。プレーに、仕草に、言葉に、華があった。ファンも多く、しかも熱かった。ダボダボズボンにド派手なポロシャツ。短髪なのに襟足だけは微妙に長い。もちろん足元はJ’sのスパイクレスシューズ。90年代の試合会場には、こんな格好の“アーミー”が大勢いた。長嶋、王にあこがれてYGマークの帽子をかぶる野球少年ならいざ知らず、大のオトナが真似をしていた。こんなスポーツヒーローは、もう2度と出てこない。(1989~99年ゴルフ担当・武山 雅一)

