
2005年、プロ出場1000試合の記念の花束を手にギャラリーの声援に応える尾崎将司
男子ゴルフで国内最多のプロ通算113勝(うちツアー94勝)を挙げた尾崎将司さんが23日、S状結腸がん(ステージ4)のため、死去した。78歳だった。元ゴルフ担当記者が偉大な足跡を悼んだ。
日本のプロゴルフ界であれだけ輝いていた選手はいないだろう。歴史に残るプレーがいまだに目に焼き付いている。劇的だったのは1995年のダンロップ・フェニックスだ。首位を1打差で追った最終日、最終18番で残り200ヤードほどの2打目をピン下5メートルにつけ、これを1発で決めて会心のイーグル。大逆転優勝を果たした。
常に全力が尾崎のプレー信条。同年の4月にはマスターズに出場したが、たまたま全米アマ優勝の資格で出場した19歳のエルドリック・ウッズ(米国)と練習ラウンドを共にした。後のタイガーだ。そして、数ホール消化すると、ウッズが近づいて「ミスター・オザキはいつも、あのように120%の力で振っているのか」と尋ねてきた。尾崎にとってはごく普通のショットだったが、パワー溢れるスイングと大きな飛距離に、当時のウッズは目を見張った。
ジャンボといえば飛ばし屋のイメージが強く、飛距離が注目されるが、実は、小技が長けていたからこそこれだけの実績が残せた。
1991年のプレステージCCでの日本プロでは、首位と3打差の8位で最終日を迎えたものの、前半32、後半29で61の猛チャージ。1日だけで11アンダーの快スコアは飛距離だけでは語れない。最終的に2位に6打差つけて圧勝した。この偉業が称えられ18番の池に架かる橋は「ジャンボ・ブリッジ」と命名され、今も残っている。
国内のレギュラーツアーにこだわった。1989年にオークヒルCCで行われた全米オープンでは、最終日に一時、リーダーボードのトップにその名を飾ったこともあり、世界で優勝できる力は十分あった。(元ゴルフ担当・古賀 敬之)

