“ジャンボ尾崎”誕生のウラに堀内恒夫氏 67年秋のオープン戦秘話「野球選手としての引導を渡された」


西鉄時代、バットを振る尾崎さん

西鉄時代、バットを振る尾崎さん

 球界からも尾崎将司さん(享年78)の逝去をしのぶ声が相次いだ。プロゴルファーとなる前には甲子園優勝投手となり、プロ野球・西鉄に入団。尾崎さんと現役時代に対戦した経験を持つ堀内恒夫氏(77)=スポーツ報知評論家=は、プロ野球選手・尾崎に大きな影響を与えた“秘話”を交えて、故人を悼んだ。

 俺が入団して2年目、67年の秋(11月19日・小倉)のオープン戦で西鉄との試合があった。試合前に1歳年上の池永(正明)さんにこう言われたんだよ。

 「ホリよ、(同期の)尾崎が打者に転向したんだけどな。あまりパッとしない。この試合あたりで打てないとクビになるんで、打たせてやってほしいんだ」って。

 俺は2年で実績も挙げていたし、秋のオープン戦だから気楽なもんよ。「ああ、いいですよ。真っすぐだけ投げますから」と言って代打で出てきた尾崎さんに本当にストレートだけを投げたんだけど、力んだのかなあ、振り回し過ぎて三振。結局、この年限りで野球をやめることになったんだよ。

 高校時代の尾崎という投手は、もちろん知っていたけど、1歳年上だったし、リーグも違う。3年で野球はやめられたから、深いつきあいがあったわけじゃないんだが、後年、宮崎で一緒に食事をする機会があった。その時に、そのオープン戦の話になったんだ。池永さんが、頼み事をしたことをジャンボも知っていたらしい。ホームランでも打っていたら、違う展開もひょっとしたらあったかもしれないけど、三振だからさ。「俺は最後にホリに野球選手としての引導を渡されたんだよ」と笑いながら言っていたことを思い出す。

 長嶋さんのことが大好きでゴルフボールにも「3」と入れていた。その長嶋さんと同じ年に逝っちゃうなんてなあ…。

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