日本人初の国際ゴルフ連盟女子チェアマン!平山伸子さんが描く東京五輪成功のカギ


平山伸子さん

 五輪ゴルフ競技を管轄する国際ゴルフ連盟(IGF)の女子チェアマンに日本人で初めて就任した平山伸子さん(66)を直撃した。青木功が米ツアー初制覇を果たした1983年2月のハワイアンオープンで務めた通訳をきっかけに業界入り。30年以上にわたり、裏方として日本で行われた数々の国際大会を成功に導いた手腕が認められ、要職に就いた。埼玉・霞ケ関カンツリー倶楽部(CC)で行われる20年東京五輪成功への熱い思いなどを明かした。(聞き手・構成 榎本 友一)

 ―女子チェアマン就任の経緯は?

 「世界3地域で6年任期での持ち回りの役職で、アジア・オセアニア地域のパッツィ・ハンキンスさん(ニュージーランド)が18年までの任期で務めていました。ところが、15年に急逝されて…。同じ地域から後任を立てるにあたり、昨年初めにIGFから『残りの任期をやってくれないか』とお話がきました。重責だと思いましたが、身に余る光栄で、お受けさせて頂きました」

 ―主な業務は?

 「普段は日本にいて、昨年9月にメキシコで行われた世界アマチュアチーム選手権(女子)の開会式で開会宣言のスピーチや表彰式のプレゼンターを務めました。メキシコでの会議で女子チェアマン就任と同時にIGFの理事にも推挙され、そちらは20年東京五輪まで務めていきたいと思っております」

 ―20年東京五輪への思いは?

 「1957年に霞ケ関CCで開かれたカナダカップ(現W杯)が日本ゴルフ界で初めてテレビ放送され、中村寅吉さんと小野光一さんが優勝されて盛り上がり、日本でもゴルフが盛んなスポーツになりました。現在、日本のゴルフ人口は減少傾向ですが、東京五輪が再び火付け役になってくれたらと思います。日本の選手がメダルを取って、日本中に画期的なゴルフブームをもたらしたいものです」

 ―成功へのカギは?

 「五輪は日本のどのゴルフ大会より何倍も巨大なイベント。運営も当然複雑で難しくなります。成功させるには、関わる全ての人が同じ方向へ向くことが大事だと思います。IGFも国際オリンピック委員会、組織委員会、東京都、日本ゴルフ協会も。世界トップ選手が集まると思うので、1日2万5000人の計画案を精査して観客が楽しく快適に観戦できるよう、コースの適切な場所に暑さ対策でミストを設置したり、空調の効いた休憩スペースを設けたり、医療班を充実させたりすることなども必要かなと思いますね」

 ―高校時代は家族で米ニューヨーク州在住だった。

 「3年ちょっと住んでいました。父に『一生付き合える友達、仲間を作るために』と言われてゴルフを始めました。本格的には大学からでしたが、“なんちゃってゴルフ部”のレベルで、趣味としてやってきました(苦笑い)」

 ―歴史的瞬間に立ち会ってゴルフ業界入りを決意。

 「83年のハワイアンオープンにたまたま春休みで訪れ、青木功さんが初優勝。日本語と英語を話せる通訳がいなくて大騒ぎで、米ツアーの広報の方々、青木さんや奥様からもお願いされて。感激して声を詰まらせながら通訳したのを覚えています。あれがなかったら私の今はないかもしれない。今、思えば本当にありがたい貴重な経験でしたね」

 ―その後、大会運営や選手のマネジメントを行うダンロップスポーツエンタープライズ(DSE)に入社。01年は米男子ツアーに出向した。

 「太平洋C御殿場(静岡)で開催されたワールドカップのトーナメントディレクターを仰せつかりまして。9月11日に米中枢同時テロが起き、主催のPGA(米男子)ツアーから『中止した方がいいのでは』という声が出て、大会まで約2か月と迫ってから米国との電話会議を何度も重ねました。セキュリティーの精度を高めることで開催にこぎ着け、日本で初めてギャラリー入場時に荷物やボディーチェックを導入しました。タイガー・ウッズ(米国)が最終日の18番で劇的なチップインイーグルを決めて最終的には素晴らしい結果になって(※1)。感動、感激でとてもやりがいがありました」

 ―11年10月のアジア・パシフィックアマ選手権(※2、霞ケ関CC)は運営責任者でした。

 「あの時は松山英樹君が日本人初優勝して盛り上がりましたね。今よりだいぶ細身で朴訥(ぼくとつ)とした印象でしたけど、プレーはやっぱりすごくて。英語での優勝スピーチも必要になる可能性が出てきて、慌てて要点をメモに書いて関係者経由で渡したことも覚えています」

 ―そこから世界の松山へと羽ばたいた。

 「ゴルフの普及を目指し、世界各国のアマチュアに出場の間口を広げる大会を創設したマスターズ委員会の方々は『松山君のパターンが理想だ』と言っています。『松山君はローアマを取って今やプロで優勝争い。我々の夢を実現してくれている』という声を耳にします。女性として今後、アジアアマの女子版の大会を作りたいと考えています」

 ―東京五輪の競技方式は?

 「日本では団体戦を希望する声も出ていますが、IGFの中では世界中のいろんな意見を収集し、慎重に何がベストなのか話し合いがされています。また、日本ゴルフ協会、開催コースとなる霞ケ関CCが成功に向けて最善の態勢で、組織委員会とともに取り組んでいくことを申し添えたいです」

 ※1 アーニー・エルスとレティーフ・グーセンが組んだ南アフリカが4チームで争われたプレーオフで優勝。2位はデンマークとウッズの米国、ニュージーランド。3位で最終日を迎えた日本(伊澤利光、丸山茂樹)は6打差11位に終わったが、翌年大会(メキシコ)で優勝。

 ※2 R&Aとマスターズ委員会が主催。優勝の松山は翌年のマスターズ出場権を初めて獲得した。

 ◆平山 伸子(ひらやま・のぶこ)1950年3月1日、東京・世田谷区生まれ。66歳。成城大ゴルフ部でゴルフを始め、卒業後はアルバイトとして国内男女ツアーで通訳やスタートアナウンスなどを務め、84年4月にDSE入社。12年に日本パブリックゴルフ協会理事、14年に日本ゴルフ協会(JGA)理事、15年にアジア太平洋ゴルフ連盟理事、16年に国際ゴルフ連盟理事に就任。JGAでは20年東京五輪準備委員会委員も務める。愛称は「ニッキ」。

 ◆国際ゴルフ連盟 1958年に「世界アマチュアゴルフ評議会(WAGC)」として創設された。米ゴルフ協会やR&Aなど世界のプロ、アマの協会・連盟を統括する。本部はスイス・ローザンヌ。03年から現在の名称に変更された。147か国・地域の協会と数多くのプロツアーなどが加盟。主な役割はゴルフの世界的な普及、五輪、ユース五輪、世界アマ選手権の開催。会長はピーター・ドーソン氏(スコットランド)。平山氏は11人のメンバーで構成されるIGFボードの一員。

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