女子プロゴルフの藤田光里(22)=レオパレスリゾートグアム=が13日、グアム知事杯(16~17日・レオパレスリゾートCC)へ向け成田空港から出発した。ゴルフに導いてくれたコーチの父・孝幸さん(享年63)が、昨年12月9日に札幌市内で急逝。今季初戦を前にスポーツ報知の単独インタビューに応じ、2年ぶりのツアー通算2勝目に向けて父の遺骨入りの指輪を作り、ともに戦う気持ちを明かした。(構成・榎本 友一)
―今年も初戦は所属先が特別協賛する大会から始まる。
「例年は合宿も含めて長期間行くんですけど、今年はいろいろあって約1週間で試合をしに行く感じ。レオパレスの深山英世社長から『優勝はしなくていいよ』と毎年、温かい声をかけていただいているので、気負わないようにしたいですね」
―昨秋「肘部管症候群」と診断された左ひじ痛は?
「お医者さんから『完治するものではない』と言われていて、症状は良くなってはいません。ゴルフをした翌日はまだ痛むので極力、左手では物を持たないようにしています。ツアーも例年は出ずっぱりだったけど、状態を見ながら7月までの前半戦で2試合休む予定です」
―昨年12月、実家のある札幌市内でお父様が急逝された。
「実は家族で最後に父に会ったのは私なんです。11月初めに帰省して、2人でご飯を食べに行ったのが最後。今もまだ(父からの着信で)電話が鳴るんじゃないかと思えています」
―一生忘れられない言葉があるそうですね?
「賞金シード争いの真っただ中にいた昨年11月のエリエールレディスで、予選を通った(賞金シード確定の)日に『ゴルフ人生で一番うれしいよ。ありがとう』という(無料通信アプリ)LINEが父から届いた。父が亡くなってから、ゴルフで『ありがとう』と言われたのは初めてだって気付いて、涙が止まらなかった」
―精神的につらい中での再出発は地元から?
「葬儀の後、年内は頂いていたお仕事をこなして、1月は実家で家族とゆっくり過ごしました。新年初打ちは今までで一番遅い4日。父と小学生からプロテストの頃まで通った札幌市内の練習場で。私の原点だし、もう一度あそこからと思って。ただ、父によく怒られたこととかを思い出して、少し寂しかったですね」
がんで入院中抜け出し助言 ―具体的には?
「中学生の時に、父が肺がんの手術を受けて入院して。それでも病院を抜け出して毎晩、車で練習を見に来てくれた。駐車場の車中から私の練習を見守って、母に電話で助言をくれたことを思い出しました」
―今季にかける思いは特別ですか?
「四十九日の法事を済ませた1月22日が、ちょうど父の誕生日で。やっぱり父にもう一回、優勝する姿を見せてあげたかったなと、あらためて思いましたね」
―今季もお父さんと共闘する?
「私の発案で父の骨を練り込んで作る、遺骨ジュエリーを家族4人で作っています。ネックレスやペンダントもあったんですが、私は指輪にしました。それをつけて、今季も父と一緒に戦いたくて。3月の開幕戦・ダイキンオーキッドレディスから着用しますよ」
―環境も変わる?
「今月、千葉から東京に引っ越す予定。父が飼っていた猫2匹を引き取って、妹も一緒に生活します」
―色紙に記した今季目標「笑門来福」の意味は?
「笑う門には福来たる、という意味。具体的な数字目標はまだ考えていませんけど、今年はシーズンを通して笑っていたいので」
◆取材後記
藤田光は平均260ヤードの飛距離と笑顔でファンを魅了する美人プロだ。14年のツアーデビュー当時から、ツアー関係者の間では「ショット力だけで賞金シードは取れる」と太鼓判を押されてきた。 おっとりした道産子だが、最愛の父を亡くした後、明らかに変わった。葬儀では母が号泣する姿を目にして「私は泣いちゃダメだ」と妹、弟の前で気丈に振る舞った。この日の取材でも「父が急死して、やりたいことは全部やっておこうと思えて。明日、悔いを残さないようにと考えるようになりましたね」と毅然と語った。左ひじ痛こそ抱えているものの“一家の大黒柱”としての自覚と責任感が芽生えた22歳。強い思いが飛躍のシーズンを呼ぶと期待している。
◆藤田 光里(ふじた・ひかり)1994年9月26日、札幌市生まれ。22歳。父の教えで3歳からゴルフを始め、西岡中3年時から北海道女子アマチュア5連覇。飛鳥未来高卒。2013年にプロテスト合格。ツアー初参戦した14年は賞金ランク38位、15年はフジサンケイレディスで初優勝など同18位。16年は同48位で3年連続賞金シードを獲得した。165センチ、56キロ。家族は母と妹、弟。