女子プロゴルフツアーに山梨県期待の新星が参戦する。生まれも育ちも甲府市の熊谷かほ(23)=フリー=が、昨年の最終クオリファイ(出場順位決定戦)で今季序盤戦の出場権を獲得した。愛らしいルックスのプロ4年生は1日、開幕戦、ダイキンオーキッド(7~10日、琉球GC)に備え沖縄入り。このほど、本格参戦するツアーに臨む心境や山梨愛を語った。(取材、構成・武山 雅一)
JR竜王駅から徒歩約5分の竜王ゴルフ練習場。その2階打席で練習を終えた熊谷は、夕日に照らされた富士山に誓うように今季に懸ける決意を明かした。
「このオフはすべての準備を大切に過ごしてきました。ウェートトレーニングやコンパクトなスイング作り、体の使い方…。やるからには優勝を目指します」
過去3年のプロ生活で出場したツアーは計7戦全て予選落ち。だが、昨年の最終クオリファイ(11月27~30日、兵庫・東急グランドオークGC)最終日に驚異の勝負強さを発揮した。4アンダー68の猛チャージ。出場圏外の47位から15位に急上昇し、今季序盤戦の出場権をつかみ取った。
「ゴルフを始めたのが人より遅いので、開幕までに1ミリでも実力を上げたい」
小学校入学前からクラブを握り始めるジュニア出身プロも多い中、子どもの頃は緑の芝でなく、白い氷の上で輝きを放っていた。
「何かに打ち込んでほしいという両親の勧めで、小学1年生から小瀬(スポーツ公園)の教室(甲府フィギュアスケートクラブ)に通っていました。面識はありませんが、その頃は安藤美姫さんや浅田真央さんが憧れの存在でした」
小学4年時、オール関東選手権や中部日本選手権で級別優勝。だが翌年、ヘルニアにかかり、2か月リンクから離れた。
「そうしたら、ジャンプの感覚が変わって跳べなくなりました。何か違うスポーツを、と次に始めたのがゴルフでした」
中学生になると週6日、毎日2~3時間、打ち込んだ。山梨学院高ではゴルフ部に入り、“ゴルフ版夏の甲子園”と言われる全国高校選手権団体戦に3年連続出場した。そして進路を決める2年生の冬。
「将来を考えてみたら、根っから、真剣に、プロになりたいと思ったんです。両親は『大学に行かせたと思って、4年間はプロテストを受けてみれば』と許してくれました」
その恩情に、なかなか応えられなかった。卒業1年目から1、2次を突破したが、最終テストは合格に7打も及ばなかった。
「心技体すべてを見直さないと、と調べて探したオーストラリア・ゴールドコーストに約4か月、留学しました。枝葉をつけるのではなく、グリップもアドレスもやり直し。でも、次の年も1打足りずに不合格でした。これでもダメ? と落ち込みましたが、『まだ20歳。来年、受かるしかない!』と今度は米・サンディエゴに飛んでひたすら練習しました。1人でコースを予約したり車を借りたり、自分の弱さに日常の生活から負荷をかけました」
努力は実る。16年のプロテスト。永井花奈、川岸史果らと同期で合格した。そしてついに、今季は晴れ舞台に挑む。
「不安と楽しみが半々ですが、いろんなコースを回ることができるし、なにより自分が稼げる場所がある。アイアンショットでゲームを作るタイプなので、そこを見てもらえれば。とにかく1試合1試合、ベストを尽くすしかありません」
【止まらない山梨愛】
ツアーでは数少ない山梨県出身。故郷を知ってもらうチャンスでもある。
「河口湖から見る富士山なんて雄大で、迫力が違います。生活もしやすい。車さえあればどこにでも行けて不自由しませんし、ウィンカーを出せば必ず譲ってくれて、人も優しいです」
食べ物の話題になると、山梨愛が止まらない。
「ワインに桃、ぶどう、信玄餅に鶏モツ煮…。おいしいものがたくさんあります。ほうとうは普通のみそ味ですが、母が家で作ってくれます」
外食はあまりしないと言うが、お勧め店も聞いた。
「ツアーの『大東建託・いい部屋ネットレディス』(鳴沢GC)の時は『ムースヒルズバーガー』(富士河口湖町)のアボカドチーズバーガーが女子プロに大人気でした。私は一昨年は『手打ちうどん せんしゅう』にハマって通っていました。家族でよく行くのは韮崎の『和こう』で焼き肉、おそばなら『専心庵』(甲府市)です」
◆熊谷 かほ(くまがい・かほ)1995年9月29日、甲府市生まれ。23歳。小学1年生でフィギュアスケートを始め、4年時にオール関東選手権、中部日本選手権の級別で優勝。ゴルフは6年生から。山梨学院高で3年連続全国高校選手権出場。卒業後にオーストラリアなどで修業し、2016年、3度目の挑戦で18位でプロ合格。ドライバー平均飛距離250ヤード。165センチ、54キロ。血液型A。家族は両親と兄、弟。