全英V渋野日向子の原点はソフトボールで培った心と体…小学校時代に指導の岩道博志さん明かす


 全英Vを飾った渋野日向子(20)=RSK山陽放送=の強さの原点は、小学生時代に熱中したソフトボールにある。投手だった渋野を指導した平島スポーツ少年団ソフトボール部監督・岩道(いわどう)博志さん(72)が、日本スポーツ史に残る快挙の土台となった「心」と「体」の秘密を明かしてくれた。

 快挙の瞬間、岩道さんは画面に食らいついた。4日午後11時から岡山市内で地元の仲間30人とテレビ越しに声援を送り続けた。期待に応えてくれた教え子に対して「3番でダボ(ダブルボギー)。でも、やるじゃろ?と思った。目が勝負の目になっとったけんね。うれしい」と目を細めた。

 最終18番。渋野は強気に約4メートルのウィニングパットを沈めた。「あんな強く打って外したら、3パット。でも打つ前に笑ったけん、エイッといったんじゃろ」。失敗を恐れない―。その原点は、平島少年団の方針にあった。

 「まず土俵に立つ。立ったらやる」。練習試合で、岩道さんはわざと間違った指示を出すことがあった。これは「誰だってミスはする。監督もするんだから」と無言のメッセージだった。「失敗しても、何もかも終わりではない」。勝負に失敗は付きもの。だったら、思い切り攻める。「ダボでも笑っていたし、そんなにミスを気にしとらん。体にしみついとんじゃろ」。小さい頃からの教えが、いつしか渋野から失敗への恐怖を取り去った。

 強固な足腰は投手としての練習で鍛えられた。小2でソフトボールを始めて以来、ずっと投手。5年から主力で投げ、6年になると、男子が多いチームでエースに君臨した。野手が守備練習をする間、渋野は別メニューでとにかく走って体力を強化した。日によってはグラウンドの端から端をダッシュ50本を超えることもあったが、弱音は吐かず淡々と汗を流した。「走ることは苦でないようだった。ゴルフでも、その積み重ねじゃろ」と岩道さんは振り返る。

 国内で2勝すると、あっという間に海外メジャーまで手にした。世界ランクも急浮上し、20年東京五輪も視野に入った。「もう十分、活躍してくれとる。でも、上野(由岐子)さんが好きだし、五輪は出たいじゃろ」。今後も成長著しい教え子の雄姿を温かく見守っていく。(宮下 京香)

 ◆渋野が達成した主な記録

 ▽初メジャーでの日本女子最高順位 01年の藤井かすみ、07年の佐伯三貴、13年の比嘉真美子(いずれも全英女子オープン7位)を更新。

 ▽日本人のメジャー最多アンダーパー 通算18アンダーは、08年全英女子オープン・不動裕理の14アンダーを更新。

 ▽メジャー初出場での優勝 14年エビアン選手権のキム・ヒョージュ(韓国)以来。

 ▽米女子ツアー外メンバーの優勝 26人目。

 ▽日本女子の米ツアーV 11人目。

 ▽日本女子2番目の年少米ツアーV 畑岡奈紗の19歳6か月に次ぐ。

 ▽日本女子最速の米ツアーV デビュー戦のため文句なし。

 ◆日本選手のメジャー挑戦史

 ▽青木功 1980年全米オープン2位。「帝王」ジャック・ニクラウス(米国)との優勝争いは「バルタスロールの死闘」と呼ばれ伝説に。日本男子歴代最高成績。

 ▽岡本綾子 87年全米女子オープンでプレーオフに敗れ2位。91年全米女子プロでは最終日の17番まで首位に並んでいたが、18番でバーディーを奪えず2位。

 ▽尾崎将司 89年全米オープンで最終日に一時トップに並んだが6位。

 ▽丸山茂樹 2002年全英オープンで最終日前半に単独首位に立ったが、後半に乱れ1打及ばず、4人で行われたプレーオフには進めずに5位。

 ▽不動裕理 08年全英リコー女子オープンで最終日を首位で出るも、71で4打差3位。

 ▽松山英樹 17年全米オープンで首位と6打差14位で出た最終日に、ベストスコア66をマークして4打差2位。

 ▽畑岡奈紗 18年全米女子プロで最終日に9打差23位から64の猛追をみせた。3人で行われたプレーオフに持ち込んだが、1ホール目で敗退し2位。

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