◆米男子プロゴルフツアー ZOZOチャンピオンシップ 最終日(28日、千葉・習志野CC=7041ヤード、パー70)
最終ラウンド(R)の残りが行われ、初日から首位のタイガー・ウッズ(43)=米国=が、7ホールで1つ伸ばして通算19アンダーで完全優勝し、サム・スニード(米国)に並ぶ米ツアー史上最多82勝目を挙げた。日本初開催の米ツアー大会の初代王者に輝き、世界ランクは10位から6位へ上昇して、来年の東京五輪米国代表圏内の同国4番手に再浮上。14年ぶりの3勝目と日本でも強さを見せ、五輪での金メダル獲得に意欲を示した。
歴史的な大会はスーパースターの歓喜で幕を閉じた。2打リードで迎えた最終18番。ウッズは4メートルのバーディーパットを決めると、大喝采に右手を上げ、柔らかな笑みで応えた。派手なガッツポーズはなく、静かにプロ生活24年目で並んだ大記録をかみ締めた。「82勝は大きな意味を持つ数字。安定して長く結果を残し続けた成果。サムは50代で達成して僕は40代。この勝利を日本で迎えたことはうれしい」と優勝トロフィーを秋晴れの空に掲げた。
最終Rの代名詞の赤いウェアに黒いベスト姿で臨んだ。難易度1位の490ヤードの12番で、6アイアンでの第2打をグリーン手前バンカーに入れてボギー発進。松山に2打差に迫られた。ガムをかみ集中力を高めた14番。4メートルのバーディーパットを沈めて3打差に広げた。7ホールでパーオンを逃したのは12番だけ。抜群の安定感で日本で2度目の完全V。日本のエース・松山と繰り広げた優勝争いに「5日間の大半をリーダーとして過ごしたので長く感じた。英樹はタフな相手だったよ」と不敵に笑った。
8月に5度目の左膝の手術を受けての復帰戦だった。初日の第1打を池ポチャするなど3連続ボギーと最悪の幕開けだったが、不倫騒動や故障など苦難を乗り越えてきた43歳はへこたれない。「数か月ぶりにしゃがんでラインが読めるようになった。スタンスがよくなり、楽にパットが打てた」と前向きに捉えた。
05年11月のダンロップフェニックスでは、平均301・63ヤードで圧倒的パワーで優勝した。40代となりスタイルは変貌。4月のマスターズでは平均飛距離294ヤードで44位も、高い精度と冷静な試合運びで勝負して復活優勝した。今大会通じてのパーオン率77・78%、平均パットは1・6250で全体1位。パー3で9バーディーもトップだった。
表彰式では、前澤友作大会名誉会長(43)から来年大会への出場を熱望された。「また来年戻ってくることを楽しみにしています」と約束すると大喝采を浴びた。その前に大舞台が待っている。
世界ランク6位浮上で、東京五輪米国代表圏内に入った。習志野CCと五輪会場の霞ケ関CC東Cの設計は同じ故・藤田欣哉氏で、起伏の少ない松の木の並ぶ林間コースで特徴も似ている。「五輪に出られたらとてもうれしい。金メダルに向けてプレーできたら光栄」。既に4大メジャーを制し“生涯グランドスラム”を記録。これに五輪金メダルを加えた、ゴルフ界初の“ゴールデンスラム”達成の瞬間は夢ではなくなった。(榎本 友一)
◆ゴルフ東京五輪への道 男子は20年6月23日時点の世界ランクを基準に算定する五輪ポイント上位60人が出場権を獲得。〈1〉同ランク15位以内は各国・地域で最大4人〈2〉16位以下は〈1〉の有資格者を含み最大2人が出られる。男子は7月30日から4日間、霞ケ関CCで72ホールストロークプレーの個人戦で競う。日本勢は松山英樹が1番手の22位、今平周吾が2番手の53位で代表圏内。
◆霞ケ関カンツリー倶楽部 1929年、埼玉・霞ケ関村(現川越市)に東Cがオープン。32年に西Cが増設され、日本で初めて36ホールを有した。設計は東Cが藤田欽哉氏、赤星四郎氏。西Cが井上誠一氏。57年にカナダカップ(現W杯)を東Cで開催。日本オープンが4回、日本女子オープンが1回開催されている名門コース。