東北福祉大ゴルフ部の阿部靖彦監督明かす表彰式直後の松山英樹との電話 涙声で「監督…」「おめでとう…」


会見で涙ぐむ東北福祉大ゴルフ部の阿部監督

会見で涙ぐむ東北福祉大ゴルフ部の阿部監督

◆米男子プロゴルフツアー メジャー21年初戦マスターズ最終日(11日、米ジョージア州オーガスタナショナルGC=7475ヤード、パー72)

 松山の恩師・東北福祉大ゴルフ部の阿部靖彦監督(58)が、まな弟子の歴史的快挙を受け、スポーツ報知に手記を寄せた。

 本当によく頑張って、勝ってくれました。大学のテレビでマスターズを見ていたら、表彰式直後に電話をくれて。涙声で「監督…」「おめでとう…」とだけ話しました。男同士もう長い付き合いなので、その一言だけでお互いに何が言いたいかが伝わってきましたね。

 マスターズ優勝はコロナ禍の日本に勇気を与えてくれたと思います。今大会は笑顔でプレーしている場面が多くて。勝因は技術の向上というよりも、人間としての成長に感じました。普段はまな娘と遊ぶ普通の父親なんですよ。実はコロナ禍となった昨春には黙って、マスク1万枚を全国の子どもたちに日本ゴルフ協会を通じて寄付もしていました。

 一緒に初めてマスターズに出たのがもう10年前。あの時は直前のオーストラリア合宿中に東日本大震災が起きて、出場していいのかどうか迷いました。それでも「出場して頑張って」などとあたたかい励ましをいただき、「頑張っている姿を日本に届けたい」と出場を決めたんです。おかげさまでローアマを取れて帰国後、石巻や東松島など県沿岸部の避難所に足を運び、ゴルフ部でがれき撤去にも汗を流しました。あの時、「マスターズで優勝するのは松山しかいないぞ」と言ったんですよ。

 松山の中では、マスターズが一つの物差しになっています。マスターズで通用するかどうかで、技術や道具も考えてきた。19年に大学の後輩の金谷拓実(22)が、米ツアーに初出場した時に「オーガスタでは、いろんなアプローチがないと通用しないぞ」って実体験も交えて話をしてくれました。今も住民票は仙台市のままです。彼にとっての原点といいますか、拠点として戻ってきてくれて。東北や被災地への強い感謝の思いは、今も松山の中では変わらずに根付いています。

 ◆阿部 靖彦(あべ・やすひこ)1962年5月19日、秋田・大曲市(現大仙市)生まれ。58歳。大曲農高野球部では捕手で、東北福祉大野球部では2年生から学生コーチを務めた。卒業後は大学職員となり、89年にゴルフ部と軟式野球部の監督に就任。2012年から硬式野球部の総監督も兼務。特任准教授。家族は妻と2男1女。

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