「日本人選手が日本製品を使い、マスターズで勝った」松山英樹の偉業で用具担当も夢かなった


松山(左)のマスターズ制覇を用具担当・宮野氏も喜んだ(住友ゴム工業提供)

松山(左)のマスターズ制覇を用具担当・宮野氏も喜んだ(住友ゴム工業提供)

 日本人初のメジャー制覇となったマスターズ優勝後、松山は言った。「日本人でもできるということが分かったと思う」。この言葉は同じ夢に向かって努力を続けた日本のメーカー、日本人スタッフに大きな希望と勇気を与えた。住友ゴム工業で松山の用具を担当するツアーレップの宮野敏一氏(40)もその一人だ。

 宮野氏はマスターズ開幕前日までクラブ調整をして帰国し、最終日は日本でテレビ観戦。すると、表彰式前にスマホが鳴った。「このドライバーで良かったです。ありがとうございました」。メジャー王者からの想定外の電話に熱い涙が頬を伝った。「日本人選手が日本製品を使い、マスターズで勝った。本当に信じられない」とツアーレップとしての夢の実現に心が震えた。

 宮野氏は2003年に外資系のテーラーメイド社に就職し、青木功や尾崎将司らを担当。16年秋に松山と初めて対面し、フェアウェーウッドなどの調整を手がけた。世界一に向けて用具も妥協しない松山の信頼を得ると、20年から住友ゴム工業へ転職した。「アイアンのように操作できるドライバー」を懇願されて20年8月に投入したのが、「スリクソンZX5」だった。松山にとって同社のドライバーを握るのは約4年ぶりだったが、手応えをつかみ、以降は“エースクラブ”となった。松山はヘッドの見た目にもこだわりが強く、宮野氏は手作業でミリ単位の調整を繰り返し、要望に応えてきた。

 メジャー連勝のかかる全米プロは、起伏に富んだオーガスタとは異なり、強い風の吹く海沿いコースだ。大幅なセッティング変更の可能性もあるという。「マスターズで勝ったから、そのクラブが完璧な14本というわけではない。松山選手の感覚にはまだまだ未到です。何を考えて、どういう球を打ちたがっているのかというのをつかみ、パフォーマンスが上がるものを提案し続けたい」と宮野氏。松山とともに、日本人の誇りをかけた世界一への挑戦は続いていく。(榎本 友一)

 ◆宮野 敏一(みやの・としかず)1981年1月30日、横浜市生まれ。40歳。2003年にテーラーメイド社に入社。国内で諸見里しのぶ、不動裕理、青木功、尾崎将司らを担当。16年10月の日本オープン練習日に松山と初めて対面し、同大会優勝などに貢献。豊富なクラブの知識と経験を評価され、20年1月から住友ゴム工業に入社した。

 ◆ツアーレップ 「Tour Representive(ツアーレプレゼント)」の略称で、組織や人を「代表する」という意味。主に大会開幕前、毎週水、木曜日までの練習日に契約選手の練習に帯同し、各選手からの要望を聞き、新製品を渡したり、ツアーバスの中でクラブや用具の調整などを施す。常に自社クラブを何本も持ち歩き、要望があれば契約外選手への営業活動も行う。

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