石川遼、30歳バースデーチャージ不発も大人のゴルフで71「45歳の時に今よりも良い体を作れたら」


1番で30代最初のショットを放った石川遼

1番で30代最初のショットを放った石川遼

◆男子プロゴルフツアー ANAオープン 第2日(17日、北海道・札幌GC輪厚C=7063ヤード、パー72)

 肌寒い風が吹く中、30歳の誕生日を迎えた石川遼(カシオ)が13位で出て4バーディー、3ボギーの71でホールアウトした。通算5アンダーで、首位と6打差の21位につけている。

 2015年大会覇者で、大会主催のANAとスポンサー契約を結ぶホストプロ。朝から冷たい風が吹き、北海道ならではの冷え込みで長袖の上着を着る選手がほとんどの中、気合のみなぎった表情で紺色の半袖のウェア姿で、1番ティーグラウンドに立った。

 スタート前のアナウンスで「今日、9月17日が30歳の誕生日」と紹介されると、ティーグラウンドで照れ笑い。記念すべき30歳第1打は、向かい風の中でドライバーを豪快に振り抜き、左のフェアウェーへと運んだ。アイアンでの第2打をピン左4Mにつけたが、バーディーパットは惜しくも右に外れてパーで発進した。

 4番で第1打を左の林に曲げてボギーが先行。6番は、ドライバーショットが右隣の12番のラフに入ってボギーとした。7番で6Mをねじ込んで初バーディーでキャディーとグータッチ。9番パー5は3オン1パットで、3・5Mを沈めて伸ばした。

 この日のラウンドではドライバーショットが右に抜け、アイアンショットは左に引っかけ気味の球が目立った。「スイングのバランスとインパクトのタイミング。相当、ショットについてはうまくはいっていない。何とか持っている技術でマネジメントをしていた」と卓越したグリーン周りの小技や総合力でボギーを3つにとどめ、アンダーパーをマークした。

 ホールアウト後「30歳第1打は良かったんですけど、ほぼ最悪のゴルフでしたね」と苦笑いで自己分析した。「風も吹きましたけど、悪くてもアンダーでプレーできるようにできたのは良かったと思います。今日は『おめでとう』とたくさん言われましたね。『もう石川遼も30歳か』と思う声もあるかもしれないですが、もしかしたら自分が一番実感ないかもです」と振り返った。

 東京・杉並学院高1年の2007年5月、15歳245日でツアー史上最年少優勝を飾った。超攻撃的なゴルフと端正なマスクで「ハニカミ王子」として一気に世間の注目を浴びた。そこからさらに15年が過ぎ、09年には史上最年少18歳で日本ツアー賞金王に輝いた。10年の中日クラウンズでは当時の世界主要ツアー最少スコア「58」をマーク。13年からは世界最高峰の米ツアーを主戦場とし、2位に2回入るなど17年夏までシードを保持した。その反面、腰痛に苦しみ13、16、19年と試合を休むこともあった。

 2つの15年間を比較すると「毎日、必死に生きてきました。色々あったな、と思いますね。0~15歳までの体の成長と環境の変化。15歳から30歳の人生も中々、刺激的でしたね。15年区切りで言うと45歳の時に、今よりも良い体を作れたらと思いますね。そうすれば50歳で自分史上一番強い、自分史上一番上手になる可能性もあると思うので。ここまでできなかったことを成し遂げられる、楽しみでしか無いですね」と目を輝かせた。

 昨年3月に田中剛コーチに師事し、感覚に頼るのではなく、データや根拠、技術にもとづくゴルフを模索。トップの位置が浅い再現性の高いスイング作りと高確率なマネジメントを徹底。クラブセッティングも見直し、コロナ禍で体も鍛え上げて飛距離も自身史上最長まで伸ばしてきた。

 米ツアー再挑戦や世界の頂点を目指すであろう30代。次なる10年間を見通し「体が重要になるかな、と。ポテンシャルの中でベストのスイング、飛距離も伸ばせると思う」と石川は言う。いくつになっても不変のあくなき探究心で日々、真っ直ぐにゴルフと向き合っていくつもりだ。

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