跳び上がるほどうれしかった宮里藍の“ただ働き”


引退会見で笑顔で質問に答える宮里藍

引退会見で笑顔で質問に答える宮里藍

 5月29日、都内で行われた女子ゴルフ、宮里藍(31)の引退会見をテレビで見た。同じような質問が続いても、誠実に答える姿を見て「変わってないな」と懐かしくなった。真面目で優しい性格。担当記者時代、何度も救われた。

 藍が実質的にプロ1年目だった2004年1月、ゴルフ担当になった。日本はもちろん、米国、英国、豪州、フランスに南アフリカ…。世界中、追いかけた。勝っても負けても、真剣なまなざしで取材に協力してくれた。まだ19歳だったが、すでに責任感は一流のプロだった。

 07年12月に担当を離れた後も宮里家との交流は続いた。米女子ツアー公式サイトの日本語版に依頼され、08年からコラム「宮里EYE」を任されたからだ。運営担当者は「年末年始に藍のインタビューを掲載してほしい」という。しかも、ノーギャラが条件だった。

 そもそも、人気女子プロにオフの仕事を引き受けてもらうのは簡単ではない。04年以降、多くの選手が芸能人のように事務所に所属するようになった。オフはコンペやテレビ出演などで忙しいため、個人では対応できないのだろうが、事務所が契約した仕事がてんこ盛り。連戦で疲れた心身を休める約3か月の貴重な休暇。仕事を入れつつ余計な仕事を増やしたくない―というのが事務所の本音だろう。以前、ある事務所に人気プロのレッスン企画を頼んだら、報酬を提示したのに、あっさり断られた経験がある。しかも米ツアーで活躍する藍はオフが2か月弱しかない。仕事を依頼された時は、絶対に不可能だと思った。

 ダメで元々。マネジャーに連絡を取った。「米女子ツアーの公式サイトですか…。まずは本人に聞いてみます」。待つこと数日。「本人から連絡がありました。インタビュー、メールでなら大丈夫だそうです」。目を丸くするほど驚いた。跳び上がるほどうれしかった。

 08年はスランプから復調を目指す道の途中だった。それでも、丁寧に質問に答えてくれた。米ツアーで初勝利を挙げ、オフも大忙しだった09年など合計4回、無償でインタビューに応じてくれた。

 思い出すことがある。04年に取材した際、藍は「ゴルフ以外でも、全てが一流のプロになりたい」と目を輝かせていた。無報酬のインタビューは、みんなに親しまれた藍の人柄を示す一例に過ぎない。プレーだけでなく、立ち振る舞いも一流のプロだった。

 12年のコラム終了後も、テレビで試合を見続けた。私の“藍ウォッチ”は、ついに今季限りで終わる。もう1度、優勝する姿が見たい。(記者コラム・高橋 宏磁)

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