【母の日の伝説】諸見里しのぶが世界の強豪を撃破「だから私は母を尊敬しています」


メジャー2勝目を挙げた諸見里しのぶは優勝トロフィーを手に笑顔

メジャー2勝目を挙げた諸見里しのぶは優勝トロフィーを手に笑顔

◆女子プロゴルフツアー メジャー初戦 ワールドレディスサロンパスカップ 第2日(3日、茨城GC東C=6665ヤード、パー72、報知新聞社後援)

 大会最終日が「母の日」と重なることが多いシーズン最初のメジャー。2008年にメジャー昇格後、数々のドラマが生まれてきた。その名場面を振り返る。第2回は2009年大会の諸見里しのぶ。

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 諸見里しのぶ(ダイキン工業)が世界の強豪を撃破し、宮里藍に次ぐ年少2位記録(当時)の22歳298日でメジャー2勝を挙げた。6バーディー、3ボギーの69で回り、2位のポーラ・クリーマー(当時22)=米国=らを1打かわして、通算13アンダーで逃げ切った。

 18番までもつれた白熱の優勝争い。諸見里は、グリーン右ラフからピンまで6メートルの第3打を30センチに寄せた。「このとき初めて優勝を確信できた」。短いウィニングパットを沈めると、大きく息を吐き、喜びを静かにかみ締めた。重圧の中、指摘されていたメンタルの弱さを克服した瞬間でもあった。

 2打リードの首位で最終ラウンドをスタート。猛追した昨年の米ツアー賞金ランク2位のクリーマーや日本で通算9勝の全美貞(韓国)、メジャー3冠の福嶋晃子を相手に1度も首位に並ばせなかった。9番で13メートル、13番では手前カラーから14メートルを沈めるなど長いパットを次々と決め、この時点で3打をリード。14番、16番でボギーを叩き、17番終了時には3人に1打差まで迫られたが「全さんがいいプレーをするので、私もと思って頑張った」と、同組のライバルの追い上げを力に変えて懸命に耐え抜いた。

 2007年日本女子オープンに続くメジャー2勝は年少2位の記録(当時)。しかし、第一声は「プロになった頃からの目標だった全英女子オープンに近づいたことが一番うれしい」だった。この勝利で、09年の獲得賞金を約3200万円としてランク2位へ浮上。6月15日時点の上位5人までに与えられる出場資格を引き寄せた。06年に米ツアーに挑戦したが、思うような結果が出ずに帰国。「未熟だった。そのときの自分と、4勝した今の自分がどう変わったか見てみたい。行くからには上を目指す」と話す大きな目には力が宿っていた。

 この日は「母の日」だった。優勝インタビューでは、沖縄の母・敬子さん(当時61)に感謝の言葉を贈った。「悪いことをしたら怒ってくれる。頑張ったら褒めてくれる。つらいときは何も言わずに見守ってくれる。だから私は母を尊敬しています」。その目には涙が浮かんでいた。心優しい一人娘は08年6月には、6LDKの新築一戸建てを両親にプレゼントした。

 沖縄・名護市の自宅にいた母は、応援に訪れていた知人からの電話で優勝を知らされたという。「聞いた瞬間は涙が出ましたね。(前年までの母の日は)よく化粧品を買ってくれました。でも、今回の優勝が一番うれしいですね」と自慢の孝行娘に感謝していた。

 ◆諸見里 しのぶ(もろみざと・しのぶ)1986年7月16日、沖縄・名護市生まれ。37歳。9歳からゴルフを始め、屋部中2年の日本ジュニア12~14歳の部で優勝。2004年日本女子オープン5位でローアマを獲得。おかやま山陽高卒。日本女子アマを制した05年にプロ転向。同年の予選会を突破して06年は米ツアーに参戦。06年10月のSANKYOレディースでツアー初V。09年日本女子プロ選手権などメジャー3勝を含む通算9勝。年間6勝した09年に自己最高の賞金ランク2位。160センチ。血液型O。

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