陳清波さんお別れの会に小林浩美JLPGA会長、王貞治氏らが出席 王氏「素晴らしい人間性だった」


陳清波さんお別れの会に出席した(左から)樋口久子JLPGA相談役、王貞治ソフトバンク球団会長、小林浩美JLPGA会長(カメラ・富張萌黄)

陳清波さんお別れの会に出席した(左から)樋口久子JLPGA相談役、王貞治ソフトバンク球団会長、小林浩美JLPGA会長(カメラ・富張萌黄)

 1月14日に93歳で亡くなった、男子レギュラーツアー通算12勝の陳清波(ちん・せいは)さんのお別れの会が17日、都内で行われた。日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)の小林浩美会長やプロ野球・ソフトバンクの王貞治球団会長ら、親交のあった関係者が出席した。

 小林会長は米ツアーに挑戦した6年後の1996年頃に陳さんに師事。「陳先生のようなダウンブローを打ちたい」と弟子入りした。「下半身と膝の使い方をすごく言われた。それと同時に考え方や攻め方を教えていただいた。今はアマチュアの方に聞かれたときに、これは陳さんに習ったと伝えている」と今でも教えを語り継いでいるという。98年のLPGAジャパンクラシックで優勝した際には、陳さんも会場を訪れ、「温かい心がうれしくて、本当にありがたかった」と当時を思い返した。

 王会長は巨人に入団後、陳さんと出会ったという。「陳さんはプロというもの感じさせない、素晴らしい人間性だった。常にほほ笑み、優しく接してもらった」と印象を話した。最後にラウンドをしたのは約10年前。陳さんも80歳を超えていたが、「この年になっても形が決まっている。改めてすごいと思わされた」と長年トッププロとして活躍してきた選手のプレースタイルに驚いたという。

 樋口久子JLPGA相談役は、陳さんを「台湾と日本の架け橋」と表現した。「陳さんがいらしてから、多くの台湾の選手が日本に来た。男子も女子も来たので、すごい方だと」。ともにラウンドしたことはないが、「人間的にも素晴らしい。どなたに会っても公平に接してくださった」とやはり人柄を絶賛していた。

 陳さんは台湾北部の淡水生まれで、実家の裏にあった淡水GCで10代から働き腕を磨いた。1951年に来日。川奈ホテルGC(静岡)でゴルフを学び、59年に東京GC(埼玉)所属となり、活動の場を日本に移した。同年の日本オープンで初優勝を飾ったのを皮切りに多くのタイトルを獲得。60年代の日本ゴルフ界をリードし、64年には関東プロ選手権、日本シリーズなど3勝を挙げた。

 海外メジャーのマスターズに63年から6年連続で出場し、15位を最高に全て予選通過。シニアでも活躍した。ダウンブローの名手で、理論書「近代ゴルフ」は多くに影響を与えた。78年に日本国籍を取得し、現姓名は清水泰行(しみず・やすゆき)さん。2014年に日本プロゴルフ殿堂入りした。

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