【藍のメモリー】(3)「見ていると誰もが気持ちいい」専属トレーナー山本邦子さんが語る


 山本邦子さんも宮里藍という人間にほれ込み、サポートを続けてきた一人だ。藍を「純」という一言で例えた。「出来過ぎた人。藍ちゃんの中には常にきれいな水が流れている。見ていると誰もが気持ちいい。よどんでいる自分が消えて、自分がきれいになった気がする(笑い)」

 09年8月に腰を痛めた藍が、大リーグ・マリナーズで当時イチローの体をケアしていた山本さんの夫、森本貴義さんを頼ってシアトルの自宅を訪ねてきた。この出会いをきっかけに、翌9月のサムスン世界選手権から専属トレーナーを務めている。古傷の腰、左肩に痛みを抱え、まずはけがをしない体づくりを目指した。ヨガの動きを取り入れ、股関節や肩の可動域が広がった。もともと肉体への意識が高く、藍はさまざまな知識を吸収していった。

 最も印象に残っている試合は15年のサントリーレディス。パッティングに苦しんでいた時期だった。「あそこから、ちょっとずつ上向きになっていったけど、あそこが一番苦しい時期だった。(チームや家族の)みんなにとっても」。パッティングという繊細なフィーリングを取り戻す作業。見守ることしかできなかった。「普段は自分の中で答えを出す人。考えて悩んでいても表には出さない。ただ、さすがにあの時期は隠せないでいた。それでもごまかすとか逃げるとかせずに、向き合った。それが彼女のすごさ」

 5試合連続予選落ちも経験した。その年の終わりに、山本トレーナーは藍に告げた。「続けることももちろん選択だけど(人生の)次のステップに進むのもいいんじゃない? 辞める時期を考えることもありだよ」。友人としてお互いを支え合ったこともある。同じ女性だから理解できること。山本さんだから言えたこと。苦悩する藍に言葉をかけずにはいられなかった。「辞めることを悪いことだと思ってほしくなかったから…」

 藍は辞めなかった。よりゴルフがうまくなる道を選んだ。得意だったパッティングの不振を脱したいという思いが強かった。「なぜ今の状況にあるのか。自分でまず考えて、新たなモチベーションを探していた」

 昨夏、旅行先から届いた藍のメールには「色々考えています」と記されていた。人生は続く。山本さんは今後を楽しみにしている。「やりたいことをやってほしい。彼女がワクワクすることは、誰かのために何かをすること。大きな社会貢献になると思う」(構成・高木 恵)

 ◆山本 邦子(やまもと・くにこ)1970年、東京都生まれ。カンザス大教育学部運動科学科アスレティックトレーニング専攻で学士号取得。同大学教育学部運動科学科運動力学とスポーツ経営管理学の2分野で修士号を修了。Kyoto MBM Labo 主宰。

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