日本女子プロゴルフ協会(LPGA)は27日、アマチュアとして史上初めて優勝し、1995~96年にLPGA会長も務めた清元登子(たかこ)さんが、16日に横浜市内の老人介護施設で誤嚥(ごえん)性肺炎のため死去したと発表した。享年78。葬儀・告別式は未定。
九州女学院高を卒業後、27歳でゴルフを始め、日本女子アマを3度制するなど「プロより強いアマ」として活躍。73年のトヨトミレディスで史上初のアマVを飾り、78年の日本女子オープンなど通算8勝を挙げた。
指導者としては不動裕理(00~05年)、大山志保(06年)、古閑美保(08年)の3人を賞金女王に育てた。不動は熊本の自宅に5~6年ほど住まわせ「サラリーマンは毎日8時間以上働くんだから当然」と1日8時間以上の猛練習を課した。食欲が落ちないように野菜中心の手料理を振る舞い「ゴルフを辞めてからの人生も考えなさい」と人間教育にも積極的だった。大山は「不動さん以上の練習をしないといけない」と女王の背中を見て育った。
生前、清元さんが「不動はマジメ。美保はちゃらんぽらん。大山はその中間ね」と評するなど最も心配していた古閑には、連日700球以上の打ち込みを指示。休み時間には無給で練習場レストランのウェートレスを手伝わせた。「有名になるとうるさいことを言う人が減る。嫌なことを言ってくれる人を大切にしなさい」と教えた。
周囲に心配をかけぬよう、親族が不動や古閑に訃報を伝えたのは数日前だった。協会では要職を歴任し、今春には日本プロゴルフ殿堂入り。選手として女子ゴルフの創成期を支え、隆盛の基礎を作った名伯楽が静かに天国へと旅立った。
◆清元 登子(きよもと・たかこ)1939年6月15日、熊本市生まれ。27歳でゴルフを始め、1973年のトヨトミレディスで史上初のアマ優勝。74年に35歳でプロ転向し、78年の日本女子オープンなど通算8勝。日本女子プロゴルフ協会で会長1期、副会長6期を務め、ティーチング資格制度の基盤立ち上げやジュニア指導者の育成に尽力。