【武藤一彦 シリーズの系譜】新時代へ臆するな金谷拓実、遠慮するな小斉平優和、負けるな石川遼


6番、ティーショットを放つ小斉平

6番、ティーショットを放つ小斉平

 ◆男子プロゴルフツアー 最終戦メジャー 日本シリーズJTカップ 第3日(5日、東京・東京よみうりCC=7023ヤード、パー70、報知新聞社主催)

 新時代の動きをはっきりと感じた。16歳でプロ入りした石川遼との同組対決で、遼を上回るプレーを見せた金谷。高校卒業の年、18歳でプロ転向し、米下部ツアーで武者修行した22歳の小斉平は、ついこの間までジュニアだったのかと疑いたくなるしたたかさ。そこに石川も絡んだ。

 金谷のゴルフは石川の気迫を上回った。砲台グリーンの12番チップインバーディー、これ以上ないという高弾道で2メートルにつけた14番。石川がかつて見せた想像力豊かな攻めのゴルフを踏襲して見事だった。

 小斉平の17番は、勝負したのが裏目に出た。絶対に入れてはいけないグリーン左まで70ヤードのバンカーにつかまり、グリーン奥、下りのアプローチをミスしてダブルボギーとなった。「あれでキレました」とうなだれたが、あれでいいと思う。また同じ状況が来たときの判断材料とすればいい。

 ゴルフは熟練のスポーツと言われたが、もはやそんな時代ではなくなっている。3人に共通する、プロテストを受験しないでプロとなったことがその証明だ。

 栃木県・那須ゴルフ倶楽部に公式戦6勝の小針春芳というレジェンドがいた。1940年、19歳の研修生時代だ。関東プロ招待競技(36ホールストロークプレー)が自コースで開催された。日本全体で約100人しかプロがいない時代、浅見緑蔵、中村寅吉ら二十数人が出場。小針は研修生ながら貸しクラブで参加した。第1Rに3アンダー69のコースレコード。36ホールを終わって浅見緑蔵と並びプレーオフ。9ホールで決着がつかず、さらに9ホールやって2打差で負けた。優勝賞金は100円。2位は50円だったがコースレコード賞の50円と合わせて4か月分の給料に相当する100円をもらった。その2か月後、プロに認定された。

 何を言いたいか。臆するな金谷、遠慮するな小斉平、負けるな遼と激励したいだけである。うっとうしいコロナ禍、とんでゆけー!とギャラリーとなって応援する。(ゴルフジャーナリスト)

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