松山英樹、入れば銅の18番3メートル外し7人POで敗退 4位も五輪経験「すごくよかった」


◆東京五輪 男子ゴルフ 最終日(1日、埼玉・霞ケ関CC=7447ヤード、パー71)

 最終ラウンド(R)が行われ、初出場でマスターズ覇者の松山英樹(29)=LEXUS=は1打差2位で出て5バーディー、3ボギーの69で回り、通算15アンダーで日本五輪男子最高の4位に終わった。7人による銅メダルを懸けたプレーオフ(PO)に回ったが、1ホール目でパーをセーブできずに脱落した。単独首位スタートで67で回った、世界ランク5位のザンダー・シャウフェレ(27)=米国=が18アンダーで逃げ切って金メダルを獲得した。

 松山がまた、天を仰いだ。18番。決めれば銅メダルが確定する3メートルのバーディーパットはカップ右に抜けた。3位を懸けた7人によるプレーオフは最初のホールでパーをセーブできずに敗退。「悔しい。結果が全てなので、メダルが取れなかった以上は評価はない」。ゴルフでの日本初の表彰台を逃し、大きく息を吐いた。

 18ホール中11ホールで3メートル以内のバーディーチャンスを生みながら、ことごとく入らなかった。「想定はしていた。ショットで取るしかないというのは今日のラウンド前から分かっていた」。この日のパット数32は参加選手60人中59位。それでも優勝争いに加わった。

 4打差4位で折り返すと、11、12番で連続バーディー。「大きかった。流れになりそうなところで、ザンダー(シャウフェレ)がミスして行けるかなと。詰めがうまくいかないと、こういう結果になる」。金メダルを追って懸命にクラブを振った。16アンダーで首位に1打差と迫った14番で「上がりで3つ取れれば」と優勝ラインを定めたが、やはりグリーン上で苦しんだ。

 7月初めに新型コロナに感染した。フロリダの自宅の庭を歩いただけでも息切れがした。10日間の静養を強いられた。体力低下にショックを受けた。「ゴルフができる喜びをすごく感じた」。病み上がりの体で気力を振り絞り、ぶっつけで酷暑の4日間を戦い抜いた。丸山茂樹ヘッドコーチは「相当な重圧があったと思う。素晴らしいものを見せてもらった」と思いやった。

 松山のなかで印象に残っている五輪といえば、2004年アテネ大会の体操男子団体の「栄光の架け橋」。00年シドニー大会の女子マラソン高橋尚子さんの笑顔の金メダル。08年北京大会のソフトボールもそうだ。「すげえ!」と興奮した。初の五輪を経験し「(宿に)帰ってもずっとテレビで五輪ばかりやっている」と注目度の高さを改めて知った。

 選手は4年に一度の舞台に人生を懸け、五輪でしかスポットが当たらない競技もある。「ゴルフってメジャーがあって、その分恵まれているのかな」とも思った。「僕も結果を出したい思いが強かったけど、なかなかそういうふうにはならなかった。それでもこうして経験できたことはすごくよかった」

 3年後のパリ五輪への意欲を問われると、「どうですかね。出たいかって言われたら…。(星野)陸也に頑張ってもらいましょう」と冗談交じりに応じた。2日朝には主戦場の米国行きの飛行機に乗る。「体力的にまだ戻ってないので不安はあるけど、試合をやりながら戻していきたい」。次戦は5日に開幕するフェデックス・セントジュード招待。休む間もなく、松山の闘いは続く。(高木 恵)

「グリーン上だけかなりプレッシャー」

◆英樹に聞く

 ―1打差にした14番で行けるかなという気持ちに?

 「11、12番で取れたというのがすごく大きかった。14番でリーダーボードを見た時に(銀メダルのサバティーニが)17アンダーで上がっていたので、上がり3つ取らないと金メダルはないと思っていた。なかなか思うようにはいかなかった」

 ―銅メダルへの気持ちの切り替えは?

 「17番が終わった時点でもう(金メダルは)ないと思っていた。セカンドが入るしかチャンスがなく、現実的ではない。バーディーを取って上がれたらと思っていたが、かなわなかった。POはいいティーショットを打ったので決めることができればと思っていた。セカンドはジャッジミスというか、残念な結果」

 ―無観客の中、たくさんの応援があったが?

 「たくさんのボランティアの方が来てくれて、たくさん応援してくれていたけど、その期待に応えることができなかったのが悔しい」

 ―マスターズでの優勝争いの緊張感と比べると?

 「マスターズの時の方が比較にならないくらい緊張していた。今回は自分の状態がそこまで期待できるものではなかった。そういう意味でも楽に行けたけど、グリーン上だけかなりプレッシャーを感じていた」

 ◆国内ゴルフ史上最多人数でのプレーオフ(PO)

 五輪ゴルフは各メダル1人にしか与えられず、同スコアで複数の選手が並んだ場合はPOを行う。国内男子のレギュラーツアーでは、1961年の日本オープン(千葉・鷹之台CC、細石憲二が優勝)、2019年のANAオープン(北海道・札幌GC輪厚C、浅井洋佑が優勝)の5人が最多記録。国内女子ツアーは1984年美津濃トーナメント(石川・朱鷺の台CC、小田美岐が優勝)の6人が最多となっている。

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