日本勢初の銀メダリスト・稲見萌寧の「原点」は荒川河川敷にあった


ゴルフ女子で2位となり、銀メダルを手に笑顔を見せる稲見萌寧(カメラ・相川 和寛)

ゴルフ女子で2位となり、銀メダルを手に笑顔を見せる稲見萌寧(カメラ・相川 和寛)

◆東京五輪 女子ゴルフ 最終日(7日、埼玉・霞ケ関CC=6648ヤード、パー71)

 稲見萌寧(都築電気)が銀メダルを獲得した。男女通じて日本ゴルフ界初のメダルとなった。

 5打差の3位から出た稲見は9バーディー、3ボギーの65で回り、通算16アンダーの2位タイでホールアウト。65で回り、16アンダーで並んだリディア・コ(ニュージーランド)との銀メダルを懸けたプレーオフを1ホール目で制した。

 歴史的快挙を成し遂げた稲見の原点は、東京・足立区にある荒川河川敷の「新東京都民ゴルフ場」にあった。レジェンド・青木功(78)も「原点」と語る場所。当時の支配人・三島徹男さん、当時を知るスタッフの二階堂正孝さんが小学生時代を語った。

 「練習の虫」といわれる稲見の原点は、荒川河川敷にあった。9歳でゴルフを始め、自宅から車で約20分の「新東京都民ゴルフ場」に通った。営業時間は日の出から日の入りまで。小学生は1日2100円で打ち放題。9ホール(パー31)のコースで腕を磨いた。三島さんは「毎日のように来ていた。最低でも2~3周。自分でバッグを担いで気が済むまで打っていたよ」。あまりの練習熱心さに「応援したい」との気持ちになり、無料でラウンドできるようになった。

 荒川沿いのコースは各ホールのグリーンが直径約10メートルと狭い。ラフやバンカーには雑草が生い茂る。盆地のため降雨で川から浸水し水がたまり、整備しきれないという。「グリーンが狭いから真っすぐ打たないと乗らない。川と隣り合わせでとんでもない強風が吹く。整備されたゴルフ場よりアプローチの技も必要になってくる」(三島さん)

 稲見はそんな難コースで中学に入学する頃まで球を打ち続けた。営業終了後も練習が続くことがあったという。二階堂さんは「昔から上手でしたね。『いくつで回るの?』と聞いたら『28、29』とか言って、すごいなという話をした記憶がある。萌寧ちゃんはグリーンにバンバン乗せていました」と懐かしそうに話した。

 「世界のアオキ」の原点でもある。のちに日米男子ツアーで通算52勝を挙げる青木は15歳の時、研修生としてキャディーなどの仕事に励んだ。二階堂さんは「青木さんも『私の原点』と言ってくれて、萌寧ちゃんも五輪出場。“世界のアオキとイナミ”が育った所と言ったらすごいこと」と笑った。

 19年10月に台風でコースが浸水し、一時廃業。約10か月後に刷新して再開し、今も都民ゴルファーに愛されている。三島さんは別のゴルフ場に移ったが、ツアー観戦に行くなど稲見の活躍を応援している。この日は休日で一日中テレビに張り付いて応援していたといい「銀メダル、おめでとう。しびれました。今後の活躍も応援しています。若い人たちも含めていろいろな人にゴルフを広めてほしい」と感激していた。荒川河川敷から五輪銀メダリストに成長した稲見が、地元の大きな期待に応えて見せた。

 ◆稲見 萌寧(いなみ・もね)1999年7月29日、東京都生まれ。22歳。9歳でゴルフを始め、2016年にナショナルチーム入り。18年のプロテストに一発合格。19年7月のセンチュリー21レディスでツアー初優勝。正確なアイアンショットを支えに今年5勝を含む通算7勝。現在賞金ランク2位。日本ウェルネススポーツ大に在学中。家族は両親。166センチ。

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