男子ゴルフの2024年4大メジャー初戦、第88回マスターズは4月11日から4日間、米ジョージア州オーガスタナショナルGC(7555ヤード、パー72)で開かれる。米ツアー通算9勝で、2021年大会王者の松山英樹(32)=LEXUS=は、11年連続13度目の出場で3年ぶり2度目の大会制覇を目指す。「ゴルフの祭典」開幕を前に、松山の過去12度の挑戦の歴史を大会ごとのコメントなども交えて振り返る。【前編】では、アマチュアで初出場した2011年から17年までの6大会を取り上げる。
▼2011年4月 前年のアジア・太平洋アマチュア選手権を制して日本人アマチュアとして大会初出場。藤田寛之、池田勇太、石川遼とともに夢舞台に立った。第1ラウンド(R)は、最終盤に3連続ボギーを喫しながらも72の31位で滑り出した。第2Rは73で、1オーバーの43位とギリギリで予選通過を果たした。第3Rは日本人史上6番目(当時)の好スコアの5バーディー、1ボギーの「68」をマークして18位へと浮上。最終Rは74で通算1アンダーの27位となり、日本人初のローアマチュア(アマチュア最上位)獲得の快挙を成し遂げた。日本人で初めて表彰式にも出席し「日本の被災地はまだまだ大変だけど、マスターズでのプレーが希望と喜びを少しでも与えられたかと思います」と力強くスピーチ。(当時)宮城・東北福祉大2年生は、東日本大震災直後の東北に大きな勇気を届けた。
▼2012年4月 前年のアジア太平洋アマチュア選手権を連覇し、アマチュアで2年連続の出場。同学年の盟友・石川遼とともに挑んだ。第1Rは71で首位に4打差14位で発進した。第2Rは74で31位後退。第3Rは72で27位へと浮上し、他のアマチュアに6打差をつけ、過去4人しかいない2年連続ローアマチュア獲得に王手をかけた。だが、最終Rはグリーン上で苦しんで「80」と崩れ、通算9オーバーの54位。「自信を持っていたパッティングで、こんなに打ったことがふがいない」とローアマを逃して悔し涙を流した。
▼2014年4月 日本ツアーの賞金王として、43年ぶりとなる日本勢唯一の出場。プロ転向後大会初出場の第1Rは、左手首痛の影響もあり、4パットに3度の3パットを含む39パット。13年4月のプロ転向後ワーストとなる「80」で90位と出遅れた。第2Rも71にとどまり、通算7オーバーの68位。「予選落ちをしたら悔しい以外に何もないです」と、3打及ばずプロ転向後、米ツアー参戦16戦目で初の予選落ちを悔しがった。
▼2015年4月 2年連続で日本勢唯一の出場。第1Rは71で18位で滑り出した。第2Rは2番で大会自身初イーグルを奪うなど、70で12位へ浮上。第3Rは30パットも、70と伸ばして10位に順位を上げた。最終Rは1イーグル、4バーディー、ボギーなしでこの日のベストスコア&大会日本人最少スコアに並ぶ「66」をマーク。23歳は日本人歴代最少スコアの通算11アンダーに加え、日本人大会初の3日連続イーグル、日本人大会初の4日連続アンダーパーなど、記録ずくめで自己最高(当時)の5位に入った。「来年はしっかりと優勝争いできる位置で4日間戦いたい。優勝した時に歴史が変わると思う」と、停滞していた日本男子ゴルフ界を変える歴史的勝利を誓った。
▼2016年4月 3年連続で日本勢唯一の出場となった。第1Rは71で自己最高の13位発進を決めた。第2Rは72で5位へ浮上。第3Rも強風に耐えて、72で2差3位と首位に肉薄した。日本人初優勝が期待された最終Rは前半、ショットミスでつまずき、後半もチャンスでパットを決めきれず、4バーディー、3ボギー、1ダブルボギーの73と伸ばせず、通算イーブンパーの7位となった。「(得意の)ショートアイアンから、ミドルアイアンでミスが多かったのが苦しかった。(優勝は)近いようで遠いような感じがあります。もっともっと優勝争いをして、良いニュースを届けられるように頑張りたい」と、日本人初となる2年連続のトップ10入りで、翌年の出場権を確保した。
▼2017年4月 ともに東北福祉大ゴルフ部の先輩・谷原秀人、前年の日本ツアー賞金王・池田勇太と日本勢3人での出場となった。第1Rは35パットとグリーン上で大苦戦し、76で首位と11打差の54位と出遅れた。第2Rは、卓越した小技で70と伸ばして16位へ浮上。第3Rは18番での4パットのダブルボギーなどパットが乱れ、74で28位へと後退した。最終Rは7バーディー、2ボギーでこの日のベストスコア「67」をたたき出した。「昨年末くらいのパットができれば、(マスターズで)絶対勝てるという自信はあるので、そういう状態が来年のここで来るように練習したい」と手応えを口にした。11位で3年続けて翌年の出場権も獲得した。