【藍のメモリー】(4)背負ってきた「責任」引き継ぐ…上田桃子が語る


マンシングウェアレディース東海クラシックのプロアマ戦を笑顔でラウンドする上田

マンシングウェアレディース東海クラシックのプロアマ戦を笑顔でラウンドする上田

 上田桃子は、18年前の出来事を鮮明に覚えている。1999年8月、栃木県内で行われた全国中学校ゴルフ選手権。初出場だった熊本・西原中1年の上田は、少なからず緊張していた。初めてのことだらけで、誰に何を聞けばいいかも分からない。不安を抱えながらコースに入ると、1学年先輩の宮里藍が真っ先に声をかけてくれた。

 「私からしたら雲の上みたいな存在で、声をかけてくれると思わなかった。当時からすごく気配りができる方。そしてプロになっても、ずっと変わらなかった。本当にありがたかった」

 08年から13年までは藍と同様に米ツアーを主戦場とした。不慣れな地で戦う中、藍から様々な助言を受けた。心の底から尊敬していた。だから昨年末、引退を決断したと告白されると、目の前が真っ暗になった。「ツアーから離れるだけで、会えなくなるわけではない。それでも、まるで亡くなったと感じるぐらいの気持ちでした」

 藍の国内最終戦となった6月のサントリーレディスでは同組で回った。大声援に応えようと全力を尽くす藍を見て、喪失感は薄れた。代わりに、新たな感情が生まれた。「彼女が背負ってきた責任は1人じゃ背負いきれない。けれど、後輩たちと一緒に女子ツアーを盛り上げたい」。長年の感謝の思いは、自らのプレーで示し続ける。(高橋 宏磁)

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