◆東京五輪 女子ゴルフ 最終日(7日、埼玉・霞ケ関CC=6648ヤード、パー71)
稲見萌寧(都築電気)が9バーディー、3ボギーの65で回り通算16アンダー2位で並んだリディア・コ(ニュージーランド)とのプレーオフを1ホール目で制し、銀メダルをつかんだ。男女を通じて日本勢初のメダル獲得となった。
世界ランク1位のネリー・コルダ(米国)が69で回り、17アンダーで金メダルを獲得した。
表彰式後、稲見はメダリスト3人による公式会見に出席した。
一問一答は以下の通り。
―母国で銀メダルを獲得できた感想を。
日本で開催の五輪、日本人がメダルを取れて、そこが一番うれしかった。
―正規の18番のボギーについて。
「セカンドが(バンカーの)目玉になったのが見えて、そこはちょっと悔いが残った。昨日(第3R)のセカンドショットをオーバーしたのが頭をよぎって振り切れず、ショートしてバンカーに入った。(その後は)しっかりと状況をみて頑張ろうと思った」
―プレーオフに向かう時の心境は?
「がっかりという気持ちは少なかった。がっかりしても次につながらないと思った。プレーオフで、勝率100%でこられているので、そこを貫き通すのが一番という気持ちだった」
―五輪は小さい頃からの夢と語っていたが。
「ゴルフっていうより、五輪に出ることがすごいなと思っていた。自分が出るという風には思っていなかった」
―亡くなった祖父からの言葉、『忍耐』を座右の銘としている。前半はバーディーの後にボギーの我慢の展開だった。
「座右の銘として言葉を心に刻んでいる。シビアなパーパット、入れどころのバーディーパットもあり、ここは決めなきゃいけないと自分にプレッシャーをかけて頑張ってきている。今年は自分なりに頑張っているよ、と(祖父に)声をかけたい」
―松山英樹選手からの「女子で頑張ってほしい」との激励に応えた。銀メダルを取って。
「一番はメダルを取れたことがうれしい。銅メダルよりも銀メダルの方がいいというのはある。最終ホール(18番)のミスで金メダルはなくなったけど、メダルを取れてよかった」
―将来の日本のゴルフ界に貢献したという思いは?
「まだ自分で、今は実感がないけど、日本開催で日本人がメダルを取れたことで、これからゴルフを始める子たち、私もプロになりたいというジュニアの子たちが増えてくれるとうれしい」
―メダルの色が決まるプレーオフの心境は。
「(ツアーの優勝が懸かる)今までのプレーオフよりも楽しめた。メダルは確定していて、あとは勝つか負けるか。私の好きな選手でもあるリディア・コさんとのプレーオフは楽しかった」
―母国開催で重圧もある中で取った銀メダルは今後にどんな意味があると思うか?
「自分がプレーしている時は、プレッシャー、緊張を感じずにできた。日本開催で、日本人としてメダルを取ったのは、この先の人生にとっても名誉なこと。子どもたちにも夢を与えることができた。来週から全部(ツアーに)参戦する予定ですが、有観客の時は、これからゴルフを始める方やもう始めている方にも見に来ていただきたい」
―今朝からの状態。
「右の背中が少し痛くて、練習場で違和感があって、呼吸がしにくかった。(トレーナーに)直前までほぐしてもらった。前半はその影響でうまくいかなくて、ここ(メダリスト会見)にこられるとは考えていかなかった。後半にパターがかみあって、連続バーディーを取れたのが良かった」
―目標は「日本一」と話していたが、このメンバーの中で良い成績を残して、将来に向けて心境の変化は?
「現状は(海外挑戦とかは)考えていない。日本でずっと頑張って、永久シードを取りたいというのが一番の目標。コロナの状況ではなかったら、単発でメジャーは出させてもらえたら」
―17番の中断明けのパットについて。
「(後続に)プレッシャーをかけたいとかはなかった。自分のスコアを良くしたい、決めたいというだけ」
―小さい時にどんな練習をしてショットがうまくなったのか。
「一番近くで見ているお父さんにも言われるけど、本当に最初からショットが全て得意だった。初めてクラブを握った時から空振りをしない、もともとショットが好きで得意だった」
◆稲見 萌寧(いなみ・もね)1999年7月29日、東京都生まれ。22歳。9歳でゴルフを始め、2016年にナショナルチーム入り。18年のプロテストに一発合格。19年7月のセンチュリー21レディスでツアー初優勝。正確なアイアンショットを支えに今年5勝を含む通算7勝。現在賞金ランク2位。日本ウェルネススポーツ大に在学中。家族は両親。166センチ。