全英オープン予選で同組対決のウッズ&松山 5年前の初対決は熱かった


タイガー・ウッズと松山英樹(右、ロイター)

タイガー・ウッズと松山英樹(右、ロイター)

 正式名称は「The Open Championship」。地名や競技名さえ表記されていない。実にシンプルな名称は、その大会が生まれた1860年当時、その大会以外の大会がなかったことを意味する。ゴルフの世界最古のメジャー、通称「全英オープン」の偉大さを改めて感じる。

 第147回全英オープンは19日に英国カーヌスティGL(7402ヤード、パー71)で開幕。大きな見所のひとつがタイガー・ウッズ(42)=米国=と松山英樹(26)=LEXUS=の“直接対決”だ。メジャー歴代2位の14勝を誇るウッズと日本男子初(レギュラー)のメジャー制覇を狙う松山は、地元スコットランドのラッセル・ノックス(33)を交えて19日と20日の予選ラウンドで同組でプレーする。

 ウッズと松山が同組対決はメジャーでは初めてだが、米ツアーやツアー外競技を含めると、これまで4大会で計6ラウンドある。その初対決は2013年8月の世界選手権シリーズ・ブリヂストン招待だった。会場は米オハイオ州の名物コース、ファイアストーンCC(7400ヤード、パー70)。現地で取材していた私は、2人のプレーと言葉、その風景をはっきりと覚えている。記者冥利に尽きる経験だった。

 当時、ウッズは37歳で堂々の世界ランク1位。松山は21歳で約4か月前にプロ転向したばかり。当然、大きな実力差があった。第1日はウッズが66、松山が72。第2日、松山は68と盛り返したが、ウッズは61をたたき出した。結局、2ラウンドで計13打の大差がついた。

 スコア以上に存在感は大きな差があった。

 第2日の2番パー5。ウッズが6メートルのイーグルパットを沈めると、大ギャラリーは口笛を鳴らし、大歓声を上げながら3番のティーグラウンドに向かって走り出した。松山の4メートルのバーディーパットが残っているにもかかわらず、だ。進藤大典キャディーが懸命に大声で「スタンド、プリーズ(止まってください)!」と叫んでもギャラリーの動きは止まらなかった。

 これは、松山に限らず、絶好調のウッズと同組で回る選手が嫌でも体感させられる“タイガー現象”。ウッズに非はない。あるのは大スターならではのオーラだ。ざわついた雰囲気の中、プレーを強いられた松山はバーディーパットを外した。

 ラウンド後、松山は潔かった。

 プレー中のギャラリーの大移動について「タイガーは世界一の選手なのだから当然でしょう。それを気にしていたら(米国では)やっていけない」と、さっぱりした表情で話した。

 目の前で61のビッグスコアをマークしたウッズに素直に脱帽。「56か57くらい出るんじゃないか、と思った。ドライバーは飛んで曲がらなくて、パットは入る。次元が違う。プロと小学生が一緒にやっているようなものでした」と笑みを浮かべて話した。

 ただ、現実を真正面から受け止めた上で付け加えることも忘れなかった。

 「タイガーに素晴らしいプレーを見せてもらった。あそこまでいけばメジャーで勝てる選手になれると分かった」。現時点の完敗は認めても、将来については別だった。決して、強がりではない。松山にとって今回の全英オープンは当時の自身の言葉を証明するチャンスとなるはずだ。

 5年前のウッズの松山評も印象深い。

 「彼は可能性を秘めている。若いということはいいよ。年を取ると、いろいろなことを考える。太平洋はどこか、大西洋はどこか、インド洋はどこか、とか。でも、彼はそんなことは考えていない。最高だね!」

 凡人には発想できない例えを挙げながら、松山の将来性を高く評価した。

 世界の頂点を極めたウッズの最後の優勝(あくまで現時点の話だが)は、実はこのブリヂストン招待までさかのぼる。その後、度重なる故障の影響などで成績は急降下。コース外でも薬を服用して無謀な運転をした罪に問われるなど公私ともに“スランプ”に陥った。ウッズにとっても、松山と同組で回ることによって5年前の自身の雄姿を思い出すことが出来れば大きなプラスになるのではないか。

 2002年。その年にマスターズと全米オープンとメジャーで2勝したウッズは日本ツアーのダンロップフェニックスに出場した。当時、小学校5年生だった英樹少年は父・幹男さんとともに自宅がある愛媛県からフェリーで九州に渡り、会場の宮崎・フェニックスCCに駆けつけた。幹男さんによると、絶頂にいたウッズを18ホール追いかけ、ロープの外からそのプレーを食い入るように見入ったという。

 宮崎での出会いから18年。米オハイオ州での初対決から5年。今回、2人が共に立つ舞台は、全英開催9コースで最も北に位置するカーヌスティGL。距離が長く、フェアウェーが狭い。「全英で最も難しい」と言われるリンクスコースだ。1999年大会でジャン・ヴァンデベルデ(フランス)は最終日の17番まで2位以下に3打差をつけながら、最終18番でトリプルボギーをたたき、優勝を逃した。「ヴァンデベルデの悲劇」は、全英オープンの長い歴史の中でも語り草となっている。

 ウッズは全英オープンに3年ぶり20回目の出場で、カーヌスティGL開催大会は3回目(99年7位、07年12位)。松山は全英オープンに6年連続6回目の出場で、カーヌスティGLには初挑戦となる。世界屈指の難コースで、日米の両雄はどんなドラマを演じるか。もちろん、2人以外にも多くの“千両役者”がそろっている。サッカーのロシアW杯に続き、スポーツファンにとって、寝不足の日々が続くことになることになるだろう。(記者コラム・竹内 達朗)

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