政財界に幅広い人脈を持つ松井功・日本プロゴルフ協会相談役(73)=スポーツ報知評論家=が、各界のトップランナーにゴルフや経営について聞く「松井功のグリーン放談」。2015年最初となる第12回のゲストは、商船三井の芦田昭充相談役(71)。今でもシングルハンデを維持する財界きっての名ゴルファーは、「1番にならなきゃ意味がない」と社長在任6年間で累計1兆649億円の経常利益をたたき出した経営の鬼でもあった。(構成・鈴木憲夫)
芦田「松井さんに見ていただきたいものがありましてね。自慢ですけど(笑い)」(とJGAのハンディキャップ認定証を見せる)
松井「我孫子で5・7ですか。すごいですねえ」
芦田「それと、これがこの間、昭和シェル石油の香藤さん(繁常氏、会長CEO)と対決した時の連続写真です。レイクウッドで。香藤さんが74で、私が76。あの人が5バーディー、私が2バーディーで負けました」
松井「いいフォームですねえ。ゴルフは学生時代から?」
芦田「中学校は野球部でした。投手で2年では県で準優勝したんですが、3年で肩を痛めましてね」
松井「高校では陸上部だったんですね?」
芦田「中学3年のときに『放送陸上』に駆り出されまして。走り幅跳び全国2位でした。肩を痛めたこともあって、(陸上の強い高校へ)汽車で通学したんですけど、不便でしてね。朝6時半の一番列車に乗って、立ったまま1時間20分」
松井「足腰と忍耐力が鍛えられましたね」
芦田「高校3年の中国地方大会では走り幅跳びで優勝、100メートルが2位、三段跳びが3位。大学も4年間、陸上でした」
松井「今の強靱(きょうじん)な体も若いころに鍛えたおかげですね。僕も若いころ、キャディーで毎日、4バッグをやらされた。この年になっても体幹が強いのは、若いころに鍛えたからですね」
芦田「社長になってからは、朝、ストレッチを30分から40分、腕立て伏せとか腹筋とか背筋とか。それから40分、歩くんですよ」
松井「毎朝?」
芦田「ハイ。雨の日も歩きます。傘さして。まあ8割が健康のため。2割がゴルフのためですけどね(笑い)」
松井「ゴルフは社会人になってから?」
芦田「学生時代はゴルフはスポーツじゃないと思ってました(笑い)」
松井「そういう人、多いですよ(笑い)」
芦田「3年目に子会社に出向してましてね。熱海で社内旅行を兼ねたゴルフ大会があって、やれと。9ホールパー33のコースを65で回りました。才能あるなとか言われて(笑い)。ただ、ルールも何も分からずにやってて、2打目もティーに乗せようとして怒られました(笑い)」
松井「サンフランシスコ駐在時代はどうでした?」
芦田「アメリカに行って初めてワンセットそろったクラブを買ったときはうれしかったですね。そこから入れ込んだんですが、1年目は伸びず、2年目からグーッと伸びて、連続9回、70台が出た。勝手に自信持ってペブルビーチに行ったら、ものの見事にやられました。確か94。全然違うなあと思いました」
松井「ペブルビーチは風も強いし、グリーンも難しいですものねえ」
芦田「帰国前の最後は79で回りましたけどね(笑い)」
松井「ゴルフは独学なんですって?」
芦田「日本からゴルフ雑誌を取り寄せて、トム・ワトソンの分解写真を見ましてね。練習場で家内に自分の写真を撮らせて、何枚も並べると連続写真になるじゃないですか? それで、ここはこう違うのかとか」
松井「見よう見まねでこのハンデを維持なさってるのは素晴らしい。ただ、ゴルフは状況や相手に惑わされたり、難しいでしょう?」
芦田「難しいですねえ。日替わりどころか、午前と午後で違ったり。自分では同じように打ってるつもりなんですけどね。まあ、難しいから長続きするんでしょうね」
松井「芦田さんはいろいろなプロアマに出ていらっしゃると思いますが、どうですか?」
芦田「シニアは良いですねえ。話題が豊富で。特に、古森さん(重隆氏、富士フイルムホールディングス会長CEO)と親しくさせていただいているおかげで、フイルムシニアのプロアマにも出させていただいてますが、あそこは日曜日にプロアマをやるでしょう? あれは素晴らしいアイデアですね」
松井「僕がPGA会長時代に考えたんですよ。財界トップがウィークデーにゴルフをやるのは、いくらプロアマでも難しい。古森さんにもそんなこと、やっていいのかと驚かれました」
芦田「試合後でプロがリラックスしてるのがまたいいですね」
松井「ありがとうございます。選手も一生懸命教えてくれて、まあ、教え過ぎる人もいますけどね(笑い)」
芦田「去年は尾崎健夫さんと回りました。やかましいぐらいしゃべりますね(笑い)」
松井「普段の健夫は結構寡黙なんですよ。プロアマだと一生懸命、サービスしてくれる。それに比べて、レギュラーの若い選手はもうちょっとホスピタリティーを考えないと」
芦田「ゴルフは基本的に一人で練習するでしょう? 野球でもサッカーでも、コーチがいて集団生活の中でいろんなことを教わりますよね。規律とかマナーとか。小さい時から一人でトレーニングすると、そういうことを教わる機会がなかったんじゃないですか。いい意味で、ビックリする選手もいます。宮里の弟」
松井「優作ですね」
芦田「あの人は毎ホール、コース整備の人に『おはようございます』とか『ご苦労さまです』とか言うんですよ。お父さんがきちんと教育したんだろうなと思いましたね。ただ、その時、チラッと頭をかすめたのが、こういう人はなかなか勝てないんだよな、と(笑い)。それが一昨年、最終戦で勝った」
松井「報知主催の日本シリーズですね」
芦田「自分のことのようにうれしかったですね。ああいう人もいますし、ちゃんと教えたら大丈夫なんですよ」
松井「教育の話になりましたが、芦田さんは社長時代に通算で1兆円を超える経常利益を出しました。会社も人材育成が大事だと思いますが、どんな社員教育をされたのか教えていただけますか」
芦田「日本郵船という大きな会社がありましてね。うちの連中は2番手に安住している気がしたんです。私は1番にならなきゃ意味がない、と言いました。2番じゃダメなんだと。1番はその地位を守るために、ものすごく努力している。2番手は1番のやり方を見て、じゃあ、うちはこういこうとか受け身で考える。そうじゃなくて、自分で切り開く、自分で考える。そして考えたことをやる。『知行合一』です。知ってますというのは何の意味もない。やって初めて意味があるんだと。それと社員に対して『破天荒』という言葉も使いました。中国のもともとの意味は、誰もやったことのないことをやる、というポジティブな意味なんですよ」
松井「そうですか」
芦田「そのためには、社員と直接会話しなければいけない。昼食を一緒に食べました。『キャン・ドゥ・ミーティング』と名付けましてね。各部署のマネジャーから副社長まで集めて。年間50回以上、多い時には週に3回ぐらいですね」
松井「若い人は考え方にずれがあるでしょう」
芦田「それは必然的なものですよね。マネジャーとは25歳ぐらい違いますから。書いて渡すだけでは真意が伝わらない。直接、顔を見ながら自分の言葉で伝える、これが一番響きますね」
松井「トップのほうが努力するんですね。2番手よりも」
芦田「もっとはっきり言えば、1番は積極的にいろんなことをやる。2番手は消極的です」
松井「会長を退かれて、仕事のほうは一段落でしょうが、何か今後、夢はありますか」
芦田「海運業界にお世話になりましたからね。恩返ししなきゃいかんなと思ってます」
◆芦田 昭充(あしだ・あきみつ)1943年4月、島根県大東町(現雲南市)生まれ。71歳。67年京都大学教育学部卒。同年大阪商船三井船舶(現商船三井)入社。75年サンフランシスコ駐在、96年取締役企画部長、2000年専務取締役、04年代表取締役社長、10年代表取締役会長。14年相談役。
欧州一課長時代にプラザ合意による急激な円高ドル安に見舞われるが、コンテナ積載量を大幅に増やした大型船にシフトし、荒波を乗り切る。社長在任6年間で累計1兆649億円の経常利益を計上。日本郵船を抜いて、海運業国内売り上げ第1位に押し上げた。趣味はゴルフで、財界きっての名プレーヤーとして知られる。現在はJFEホールディングス株式会社取締役、一般社団法人日本経済団体連合会審議員会副議長、公益社団法人日本陸上競技連盟評議員など。