政財界に幅広い人脈を持つ松井功・日本プロゴルフ協会相談役(73)が、各界のトップランナーにゴルフや経営について聞く「松井功のグリーン放談」。第1ラウンド最終回となる第18回のゲストは、株の上場などさまざまなアイデアで、芸能プロダクションを近代化した堀威夫・株式会社ホリプロファウンダー最高顧問。今日、83歳の誕生日を迎えたホリプロの創業者は、エージシュート達成に情熱を燃やす、「永遠の青春ゴルファー」だった。
松井(以下松)「ゴルフ歴はどのぐらいですか?」
堀「28歳からですから、54年になります。まだバンド(堀威夫とスイング・ウエスト)でギターを弾いてた頃、ひいきにしてくれた方がゴルフセットをくださったんです。ゴルフ場まで取ってくれた」
松「どこへ行ったんですか」
堀「熱海の、9ホールを2回まわるところ(熱海ゴルフ倶楽部)でした。メンバー7人で練習場でクラブの包装をむきながら、『どうやって持つの?』なんて言って」
松「練習もせずに行った?」
堀「練習どころか、ゴルフを見たこともなかった。そこにいた女性が見かねて手ほどきしてくれました。一緒に回ってくれて、8人で9ホール7時間半。こんなつらくてつまらないものはないと思いましたね。しばらくゴルフは封印してました」
松「ひどい筆おろしでしたね」
堀「2年ぐらいたった頃、三木鮎郎さん(ジャズ評論家、司会者)に声をかけられましてね。『リーホー(堀さん)、ゴルフセットを持ってるらしいじゃない?』って。彼は、ゴルフのラフと笑いを引っかけて『ラフラフ会』というコンペをやってて、メンバーには、植木等やハナ肇がいました。僕は野球スイングでしたから、どスライスで遠回りしましたね」
松「我流という話はよく聞きますが、見たこともないまま始めたのは珍しい」
堀「僕らの子供時代は、娯楽といえば野球しかありませんでしたから。草野球は熱心にやっていました。ゴルフはずっと我流で。それでもハンデ13までいきました。今は20まで下がってしまいましたが」
松「今はほとんど相模CCですか?」
堀「はい。後はグレートアイランド倶楽部。あそこは(伊藤園創業者の)本庄正則さんが手塩にかけたコースで食事のおいしさはゴルフ場では日本一でしょう」
松「伊藤園レディスの開催コース」
堀「上級者には難しく、年寄りには易しいコースです。去年83が出たので、これは簡単にエージシュートができるな、なんて思っていたらとんでもなかった」
松「相模はうちの兄(茂氏、松井商会会長)もメンバーですが、皆さん、電車で行きますね」
堀「僕も電車です。19番ホールもありますし」
松「TBSの井上会長(弘氏)もそうおっしゃってました。『ゴルフかお酒か、どっちが目的で行くのか分からない』って(笑い)。お車を待たせておいた方が楽でしょうに」
堀「若い時は全然感じなかったのですが、年を取ると、運転手を待たせるのも、何か嫌なものでしてね」
松「なるほど」
堀「そもそも相模は、小田急創業者の利光鶴松さんが、サラリーマンのために作ったらしいですよ。ただ、近年はメンバーの年齢が上がって、『敬老杯』などが行われると、帰りのバスに人が乗り切らない(笑い)」
松「堀さんはエージシュートを達成するために、60歳で会社まで歩ける家に引っ越したとか」
堀「だからこういう靴です(と、ウォーキングシューズを見せる)」
松「ゴルフを長持ちさせるためにも、歩かないとダメですね」
堀「還暦を迎えた時に『人生80年』の後の20年をどうやって生きるか。いろいろ考えた結果、違う自分になろうと決めたんです。『人生二毛作』と言ってます。引っ越して車も変え、女房以外全部変えた(笑い)」
松「すごい」
堀「会社までまっすぐ歩くと1・5キロなのですが、医者から『少し遠回りしては?』と言われて、100段ぐらいある階段を回ってきます」
松「頭が下がりますね」
堀「スイングも一度、壊しました。相模のプロに『あなたのゴルフは70過ぎたらできなくなる。右手でひっぱたいていると腰にくるから』と言われまして」
松「今までエージシュートは何回?」
堀「一度も。死ぬまでになんとかと思って、実は80歳からまた、ゴルフを習い始めました」
松「20代で始められたゴルフを60歳でリセットし、80になってさらに作り直すとは驚きです」
堀「私はサミュエル・ウルマンの『青春』という詩の大ファンなのです。『人は年を重ねただけでは老いない。理想を捨てたときに老いが始まる』というくだりがあってね。これが大好きなのですよ」
松「いい言葉です」
堀「僕は自分のことを“青春病患者”と呼んでいます」
松「合気道も始められたとか」
堀「昔、社員教育でやってたんですよ。経営評論家の船井幸雄さんにも勧められましてね。藤平光一先生のところへ通いました。お弟子さんには広岡達朗さんや王貞治さんもいらしたようですね。80歳を過ぎて、また、稽古を再開しました」
松「ドライバーは何をお使いですか?」
堀「ヘッドはゼクシオで、シャフトはセブンドリーマーズです」
松「珍しいシャフトをお使いですね」
堀「計測して作りました。お陰で80を過ぎて、飛距離はそれほど落ちなかった」
松「どのくらいですか?」
堀「マックスで220ヤード。アベレージで190ヤードくらいですね」
松「それならエージシュートも狙えます。後はアプローチを練習することです」
堀「グレートアイランドで83で回った時、3パットを3回しました。その時は、新製品のパターを試してて、全然距離感が合わなくて」
松「新しいものにチャレンジする意欲は素晴らしいですね」
プロゴルファー マネジメントも 松「ホリプロはプロゴルファーのマネジメントもやってますね。武藤俊憲プロや和田委世子プロとか。一緒に回ったことは?」
堀「松沢知加子プロと回ったことは1、2度あります。飛びますね。あの子は。でも人が良すぎて。勝負師というのは、少なくとも勝負の最中は、少しは人間が悪くならないと」
松「まさしくそうですよね。特にゴルフは性格が出ますから」
堀「前は太平洋マスターズのプロアマにも出てましたが、この頃は出ていません。翌週の伊藤園レディスと連チャンになるのがきついので。どうしても食べ物のおいしいグレートアイランドに行きたくなってしまうんですよ」
松「男子のレギュラーのプロアマに出ても、アマはあまり参考になりませんからね。堀さんなら、絶対にエージシュートできますよ」
堀「冥土のみやげにどうしてもやりたいと思っています。傘寿のときにコンペをやってもらいましてね。『エージシュートを目指します』と宣言してしまった」
松「83が出た時は、おいくつの時でした?」
堀「81です」
松「3パット3回。慣れたパターでやっていれば…」
堀「逃がした魚は大きいですね(笑い)」
松「最後に。右手を使うためにはボールに近づいてはだめです。年齢と共にボールから離れたほうがいい。そうすれば手が使える。年を取ってから体を使おうとすると、無理がきます。青木功プロは離れていますよね。だから、腰に負担がない。堀さんは右足の使い方がいいですから。まだ距離も出ますし、82も出ますよ」
堀「もう83でいいのです。10月15日が誕生日なので」
松「僕も11月から74でいい。うれしくはないけれど(笑い)」
堀「でもエージシュートは唯一、年寄りの特権ですからね。なんとか頑張ります」
◆堀 威夫(ほり・たけお)1932年10月15日、横浜市生まれ。83歳。明治大学在学中から学生バンドの「ワゴン・マスターズ」に参加。56年に卒業し、「堀威夫とスイング・ウエスト」を結成し、カントリー&ウエスタンバンドのリードギターとして活躍。60年、堀プロダクション創業。63年、株式会社ホリプロダクションに社名変更、代表取締役社長。84年、同会長。89年、株式公開。97年、東証2部上場。2002年、東証1部上場。会長職を退任し、取締役ファウンダーに就任。08年、ファウンダー最高顧問。12年、経営の自由化を目指して上場廃止。
「芸能プロダクションを近代化した男」と言われる。守屋浩、舟木一夫、スパイダース、ヴィレッジ・シンガーズ、和田アキ子、森昌子、山口百恵、石川さゆり、榊原郁恵、綾瀬はるか、石原さとみら、数多くの歌手、俳優を発掘、育成した。また、タレントスカウトキャラバンや、ミュージカル「ピーターパン」など斬新な企画を次々と実現させた。
92年藍綬褒章、03年名誉大英勲章CBE受章。趣味はゴルフとスキューバダイビング。
【松井功のグリーン放談】堀威夫・株式会社ホリプロファウンダー最高顧問
松井 功(まつい・いさお)
1941年11月2日、神戸市生まれ。72歳。富士ゼロックス専属。用具契約はキャロウェイ。18歳で林由郎プロに師事し、66年プロテストにトップ合格。翌年、プロデビュー。主な戦歴は72年静岡オープン2位、79年全日空札幌オープン4位、80年ミズノゴルフトーナメント6位など。91年よりシニアツアーに参戦。2002年、日本プロゴルフ協会理事就任、広報委員長を経て、05年会長に就任。2期務めた後、13年から相談役。一般財団法人日本プロゴルフ殿堂理事長、NPO法人日本ジュニアゴルファー育成協議会(JGC)理事長、阿山カンツリー倶楽部理事長。烏山城カントリークラブ会長。