経済界に幅広い人脈を持つ松井功・日本プロゴルフ協会相談役(72)=スポーツ報知評論家=が、財界トップランナーにゴルフや経営について聞く「松井功のグリーン放談」。第3回のゲストは、大和ハウス工業の樋口武男代表取締役会長兼CEO(75)。「凡事徹底」を掲げて住宅・建設業界の最大手を引っ張る西のカリスマは、60歳でシングルになった奇跡の人でもある。
松井「この度は素晴らしい家を建てて頂いて、ありがとうございます」
樋口「こちらが先にお礼言わないと(笑い)。私は同じ団地で3回、住み替えてるんですよ。子供らがここでなくてもと言うんですけど、お前ら(他に)行きたかったら結婚して行ったらええ。俺は鳴尾のためにここにいるんやと(笑い)。車で8分ぐらいですから」
松井「いいコースですよね。他には?」
樋口「宝塚に広野。東京では小金井です。(頻度は)鳴尾と同じぐらいで、年に9回か、10回ぐらい」
松井「オーガスタも2回、回られてる」
樋口「1回目はコース内のハウスに泊めてもらったのですが、夕焼けがものすごくきれいで。2回目は一昨年かな。マスターズに招待受けて。決勝翌日、中嶋常幸さんと回りました。でも82、3叩いて『出なくて良かった』っておっしゃってましたよ(笑い)」
松井「会長は96。素晴らしいですね。会長と最初にお付き合い願ったのは…」
樋口「10年以上前、富士ゼロックスカップでしたね。(吉川の)キングスロードで。ハーフ回って私、36だったんです。松井さんが同組の女子プロに『昼から教えてもらいなさい』って(笑い)」
松井「会長は60歳でシングルになられた」
樋口「ゴルフ始めたのは31歳の時ですが、最初、161叩いて。それでくそっと思ってね。夜、仕事終わったら練習場に5番アイアン一本持って。そればっかり練習してました。ヘッドが反ってきて、最後は(折れて)飛んでしまったんです。練習場に来てる上手な人の後ろにいって、技術を盗んだりね」
松井「先生なし?」
樋口「なしです。60でシングルになる前は、最高で51出たんですよ、ヘッドスピードが。(球が)2段でホップしました」
松井「すごいですねえ。今でも飛ばしにはこだわる?」
樋口「スポーツクラブ行って240ヤード以上出るまでは帰らない。この前、257ヤード出ました。今日は260出るまでやるぞと言うたら、インストラクターが勘弁して下さいって(笑い)」
松井「シングルになる前はどんな練習を」
樋口「絶対に60でシングルなってやろうと思って。(社長業で)時間がなかったんですが、帰ったら玄関の絨毯(じゅうたん)の上にピンポン球置いて、サンドでパーンと打って、きれいに打ったらスピンが利いて戻ってくるでしょ。その練習をずーっと、絨毯が擦り切れるまでやりました」
松井「今は大山プロが所属でしょう? 見てくれとか言わないですか?」
樋口「言いますよ。志保ちゃんはワンポイント、振りきれって。で、振ったらこっちの足(右足)がこう返る、体重移動ができてるかどうかだけ見てる。見てもらいながら打つでしょう。言われてるから打った後(かかとを)ピュッと上げる。そしたら、取ってつけたことしたらダメですって(笑い)」
松井「今のクラブは、打っちゃだめです。振り切る。ゲーリー・プレーヤーが打ったあと、右足が前に出ますね。野球のピッチャーが、投げたら右足前に出ますね。同じ理屈なんです」
樋口「理屈は分かっても、体が言うこときかない(笑い)」
松井「石川、松山を見てどう思われますか」
樋口「石川プロは、スタミナがあって余裕を持ってやれている時はフルショットでもいいなと。でも、スタミナを消耗しているときは、どっかでミスが起きるだろうと。自分の能力以上のものは出ないんですから。そこはゴルフでも経営でも同じですね。この前、静岡の支店長とかと懇親ゴルフがあったんです。(支店長が)よく飛ばす。でも、310ヤードぐらいの右ドッグに来たら、アイアン持つんです。もったいない、(グリーンを)狙えと。ドライバーに持ち替えたら1オンした」
松井「ビビらずに前に行く社員は強い?」
樋口「まあそうなんですけど、自分のこととして考えたらね。若いときと違って、やっぱり堅実な生き方をしないと、スコアメークはできない。会社の経営はグループの従業員だけでも、5万人以上の生活がかかってる。しかも、その後ろには家族がいます。確率50%以下では絶対に無茶なことをしてはいけない」
松井「自分の能力を見極めて、チャレンジするならいいと」
樋口「自分でいけるかどうか。会社なら会社としてチャレンジする価値があるかどうかですね」
松井「会長はプロアマもよく出られますが、男子プロはどうですか」
樋口「女子プロはホスピタリティーがしっかりしてますね。あれは樋口久子前会長の教育のたまものだそうですね。男子プロはできる人もいますが、そうでない人の方が多い。珍しいなと思ったのは横尾要プロ。バンカー入ったらレーキ持って、後ろに立っててくれるんです。『私、ならします』て。あんなプロ初めてです」
松井「横尾は報知新聞でジュニア育成の冠大会を持ってます」
樋口「なるほど。お客さま、スポンサーがいるから(試合を)できるんですから。その点、シニアは素晴らしい。青木さんと回ったことあるんですけど、非常に楽しかった。冗談も言うしね」
松井「13年度の売り上げが連結で2兆5000億円を超える予想です。家を建てていただいたからよく分かるんですが、大和ハウスの皆さんは丁寧で迅速でマナーもいい。まさに“凡事徹底”ですね」
樋口「それ(凡事徹底)に尽きます。順調に推移すればこの3年間で(売り上げが)1兆円ぐらい増えたことになります。これは1人や2人の力じゃない。役員が一生懸命やるところを見せるから、支店長や管理職も一生懸命やる。支店長、管理職が一生懸命やると、1年生もやる。そういう、いい連鎖がね、起きてるんじゃないかと」
松井「100周年10兆円という、創業者の石橋信夫さんとの約束が見えてきました」
樋口「48年目、1兆3000億円ぐらいのときに、石橋相談役に言われたんです。『50周年には1兆5000億円、やってくれるんやろ』『はい』って言ったら『そしたら、100周年の時には10兆円企業群を形成してくれな。俺の夢なんや』と。その翌年、亡くなる訳ですから。私の心の中に強烈に残ってるんですよ。100周年は2055年。わたしは117歳です。この前の役員会で『117歳はちょっと自信ない。でも、80周年は97歳だから大丈夫だろう。だから、80周年で10兆円いけるように、再チャレンジしてくれと。それを見届けて、天国のオーナーに報告に行ける。俺の願いや』て言っておきました」
松井「会長の“凡事徹底”はどれも凡事と思えません。5番アイアンとか。そこまで徹底できた秘密は何ですか」
樋口「私、自分で起業するというのが、20歳の時の決意なんです。大和ハウスに入社して、睡眠時間4時間で2年間ずっと工場に通いましたけど、俺は将来、会社を起こして親孝行するんだと。そういう志があるから、体が続く限り苦痛だとかまったく思わなかったです。起業の夢は断念しましたが、オーナーに『会社頼むぞ』と言われたとき、ものすごく感動しました。しかも、自分の息子を外してまでですから。『会社は公器なんや』と。生涯忘れません。だから、創業者の夢をかなえるため、どうしても大和ハウスグループとして、10兆円、いかねばならないという思いがあるんです」
松井「随分、重いバトンを渡されましたね」
樋口「重たいと思ったことはありません。むしろ、よくぞ言うてくれました、ですよ。やりがいですね」
◆樋口 武男(ひぐち・たけお)1938年4月29日、兵庫県尼崎市生まれ。75歳。61年関西学院大法学部卒。63年大和ハウス工業入社。84年取締役。91年専務取締役。93年大和団地代表取締役社長。2001年、両社の合併に伴い大和ハウス工業代表取締役社長。04年代表取締役会長兼最高経営責任者。
創業者の石橋信夫オーナーから倒産寸前の大和団地再建を託され、見事に再生に成功。合併後は大和ハウス工業社長として「安全・安心(あ)とスピード・ストック(す)」をもって、「福祉(ふ)、環境(か)、健康(け)、通信(つ)、農業(の)」分野に多角経営に乗り出し、グループ売上高2兆円を達成した。社外では一般社団法人住宅生産団体連合会会長、一般社団法人大阪交響楽団運営理事長などを務める。趣味はゴルフで、ベストスコアは73。ホームコースは鳴尾、小金井、広野、宝塚など。阪神ファンとしても知られる。
◆松井 功(まつい・いさお) 1941年11月2日、神戸市生まれ。72歳。富士ゼロックス所属。用具契約はキャロウェイ。18歳で林由郎プロに師事し、66年プロテストにトップ合格。翌年、プロデビュー。主な戦歴は72年静岡オープン2位、79年全日空札幌オープン4位、80年ミズノゴルフトーナメント6位など。91年よりシニアツアーに参戦。2002年、日本プロゴルフ協会理事就任、広報委員長を経て、05年会長に就任。2期務めた後、13年から相談役。NPO法人日本ジュニアゴルファー育成協議会(JGC)理事長、阿山カンツリー倶楽部理事長、解説のほか、ゴルフイベントの企画や講演活動と、幅広く活躍している。